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インフレーション

インフレーション宇宙

前節で述べたような標準モデルの問題点のうち,ホライズン問題,平坦性問題, および,不必要なrelicsの問題を一挙に解決する可能性をもったアイディアが ある.これはインフレーションモデル(inflationary model)というもの で,宇宙の極初期にはフリードマン宇宙のまま膨張するのではなく,指数関数 的に急激な膨張を起こすドジッター宇宙で表されるような時期が一時的に存在 したとするモデルである.このようなドジッター期は,物質をみかけのホライ ズンの外に一気に持って行き,宇宙の曲率を一気に引き延ばして実質的にゼロ にし,また,それ以前に出来ていた不必要なrelicsの密度を一気に薄めてしま うという,たいへんに都合のいい代物である.

フリードマン的な宇宙では時間を遡るとき粒子的ホライズンは今より小さかっ たように見え,これがホライズン問題を引き起こしていた.だが,現在見かけ 上のホライズンに入って来たように見える粒子も,インフレーション以前には ホライズンの内部にあったのであり,その後のインフレーションによる膨張に より,フリードマン的宇宙のみを仮定した場合の現在のホライズンサイズを超 えた場所にまで遠ざかってしまう.したがって,インフレーションがないと考 えて現在のフリードマン的膨張のみから計算されるホライズンは,インフレー ションがあった場合の本来のホライズンよりもずっと小さいものとなる.

フリードマン期でのみかけのホライズンを表す量として,ハッブル半径 $ d_{\rm H} \equiv c/H$ を考える.これは,ある時点で,その時刻における膨 張率の時間スケールに光が進める半径を表している.減速膨張するフリードマ ン宇宙では,粒子的ホライズンのオーダーであり,加速膨張するドジッター宇 宙では,事象的ホライズンのオーダーとなる.このハッブル半径に対して,あ る共動的スケールを考え,その物理的長さを $ l_{\rm phys}$ としよう.これは スケール因子に比例する.このときこれらの量の時間についての変化は図 5.1のようになる.

図 5.1: インフレーション宇宙でのスケールの変化
\includegraphics[height=10pc]{figs/fig00.eps}

インフレーションの始まる時刻を$ t_{\rm i}$ , 終わる時刻を$ t_{\rm f}$ と する.インフレーションの始まる以前のフリードマン期 $ t < t_{\rm i}$ では, $ d_{\rm H} \propto t$ , $ l_{\rm phys} \propto t^{1/2}$ であるから,ハッ ブル半径は共動スケールよりも速く大きくなる.これにより,粒子同士の相互 作用できる領域はどんどん広がっている.そこで,インフレーション前のある 時刻に $ l_{\rm phys}$ がハッブル半径の内部に入って,そのスケールで宇宙 の一様化が進んだと仮定しよう.そして,インフレーションが始まって,ドジッ ター期になる $ t_{\rm i} < t < t_{\rm f}$ では,ハッブルパラメータはほぼ 一定値を取るので, $ d_{\rm H} \propto {\rm 一定}$ , $ l_{\rm phys}
\propto \exp(Ht)$ となり,共動スケールが急激に速く大きくなる.このため, その共動スケールはハッブル半径を越えることができる.インフレーションが 終わって再びフリードマン的宇宙になる $ t > t_{\rm f}$ では,また共動スケー ルよりもハッブル半径の方が速く大きくなり,この共動スケールがハッブル半 径の中に入って来ることになる.

このようにインフレーション期が十分あれば,ホライズン問題は解決できるよ うになるが,それだけでなく,インフレーションによる宇宙の急激な膨張は, ちょうど風船を膨らますと表面が平らに近付いて行くのにも似て,曲率が急激 に小さくなり,平坦性問題も解決する.実際,インフレーション中にハッブル パラメータが一定値をとるため,曲率パラメータは

$\displaystyle {\mit\Omega}_{\rm K} = \frac{c^2 K}{a^2 H^2} \propto e^{-2Ht}$ (E.3.20)

となり,急激に減少してしまう.インフレーションが十分あればこの量は実質 的にはゼロになってしまい,平坦性問題は説明されることになる.

このように,十分なインフレーションがあれば大変都合がいいことがわかるが, 定量的にどのくらいインフレーションが起きればよいのか見てみよう.ホライ ズン問題が解決されるためには,現在までにハッブル半径に入ってきた共動的 スケールがすべて,インフレーション以前のフリードマン期にもハッブル半径 の内部に入っていることが必要である.これは,現在のハッブル半径が,イン フレーションの始まる時刻でのハッブル半径に対応する共動距離よりも小さけ れば成り立つ:

$\displaystyle \frac{c}{H_0} < \frac{c}{a(t_{\rm i}) H(t_{\rm i})}$ (E.3.21)

これが成り立てば現在のハッブル半径より小さなスケールはすべてインフレー ション以前にも因果関係を持つことができるようになる.インフレーション中 はハッブルパラメータはほぼ一定であるとすると,上の条件は

$\displaystyle \frac{a(t_{\rm f})}{a(t_{\rm i})} > \frac{a(t_{\rm f}) H(t_{\rm f})}{H_0}$ (E.3.22)

となる.ここで,輻射優勢期のハッブルパラメータは

$\displaystyle H = \frac{H_0\sqrt{{\mit\Omega}_0 a_{\rm eq}}}{a^2}$ (E.3.23)

であるから,式(5.3.22)は

$\displaystyle \frac{a(t_{\rm f})}{a(t_{\rm i})} > \frac{\sqrt{{\mit\Omega}_0 a_...
...f})}{T_0} \sim 10^{25} h^{-1} \frac{k_{\rm B} T(t_{\rm f})}{10^{15} {\rm GeV}}$ (E.3.24)

となる.ここで,ハッブルパラメータの定義 $ H=\dot{a}/a$ から,一般にスケー ル因子の比は

$\displaystyle \frac{a(t_{\rm f})}{a(t_{\rm i})} = \exp\int_{t_{\rm i}}^{t_{\rm f}} H dt \equiv e^N$ (E.3.25)

と表すことができる.ここで,$ N$ はインフレーションの膨張指数であり,イ ンフレーション中ハッブルパラメータがほぼ一定ならば,

$\displaystyle N = \int_{t_{\rm i}}^{t_{\rm f}} H dt \sim H(t_{\rm f})\left(t_{\rm f} - t_{\rm i}\right)$ (E.3.26)

である.このパラメータについての制限にすれば,式(5.3.24)は,GUT 期にインフレーションが起きたとすると, $ N \lower.5ex\hbox{$\; \buildrel > \over \sim \;$}60$ となる.

この場合,曲率も十分小さくなっているかどうか見てみよう.インフレーショ ン中の曲率の減少は式(5.3.20)より,

$\displaystyle {\mit\Omega}_{\rm K}(t_{\rm f}) = e^{-2H_{\rm f}(t_{\rm f} - t_{\rm i})} {\mit\Omega}_{\rm K}(t_{\rm i}) = e^{-2N} {\mit\Omega}_{\rm K}(t_{\rm i})$ (E.3.27)

となる.したがって,現在の曲率パラメータは

$\displaystyle {\mit\Omega}_{\rm K0} = \frac{a(t_{\rm f})H(t_{\rm f})}{H_0} {\mi...
...ga}_{\rm K}(t_{\rm f}) = e^{2(N_{\rm min} - N)} {\mit\Omega}_{\rm K}(t_{\rm i})$ (E.3.28)

となる.ここで, $ N_{\rm min}$ はホライズン問題を解決するのに必要な上で 得られた$ N$ の最小値であり,式(5.3.24)右辺の対数である.したがっ て,現在の曲率パラメータの絶対値はインフレーション開始時よりも小さく, 初期に不自然な微調整をしなくても,現在の曲率パラメータの絶対値がとてつ もなく大きくなることはない.インフレーションが十分で, $ N \gg N_{\rm
min}$ となっていれば,現在の曲率は実質上ゼロになってしまう.

このように,十分なインフレーションは,ホライズン問題と平坦性問題を同時 に解決できるのである.また,インフレーション中の急激な膨張は宇宙初期に できた不必要なrelicsの密度を極端に薄めるので,この観点からも都合がよい.

インフレーションの機構

以上のように,一時的なドジッター期は標準モデルの不自然な点を解決できる のであるが,では,そのようなドジッター期はどのようにして実現し得るので あろうか? ドジッター宇宙は宇宙定数によって実現されるが,宇宙定数は定 義によって定数なので,その場合にはインフレーションが始まったり終わった りすることなく続いてしまうので,それではだめである.宇宙定数のような時 空の定数ではなく,うまく突然現れてまた突然消えるようなものになっていな ければならない.これについて,インフレーションモデルが提案された当初か ら,ヒッグス場のようなスカラー場などの真空エネルギーがその役割を果たす ものと考えられている.だが,そのような都合のよい場が現実に存在するのか どうか現状ではよくわかっておらず,いろいろとモデルは提案されているが, 確定したものはまだない.

ここでは一般論として,スカラー場$ \phi$ があったときにどのようにインフレー ションを起こすことができるのかを見てみよう.このようなインフレーション を起こすスカラー場はインフラトンと呼ばれる.インフラトンが一時的に真空 のエネルギーを持つことによってインフレーションが起きるのである.いま, 量子ゆらぎについて平均したインフラトンの有効ポテンシャルを$ V(\phi)$ として,その有効ラグランジアン密度を

$\displaystyle {\cal L} = - \frac12 g^{\mu\nu} \partial_\mu \phi \partial_\nu \phi - V(\phi)$ (E.3.29)

としよう.ここで,質量項がある場合もポテンシャル項に含まれているものと する.すると場の方程式は

$\displaystyle \frac{1}{\sqrt{-g}} \partial_\mu\left(\sqrt{-g} g^{\mu\nu}\partial_\nu \phi \right) - V'(\phi) = 0$ (E.3.30)

で与えられ,また,エネルギー運動量テンソルは式(B.2.84):

$\displaystyle T_{\mu\nu} = -2 \frac{\partial {\cal L}}{\partial g^{\mu\nu}} + g_{\mu\nu} {\cal L}$ (E.3.31)

で与えられる.

いま,宇宙全体の膨張に着目するため,空間的なゆらぎは無視し,一様等方成 分に着目しよう.ここで,宇宙膨張に対して静止している局所ローレンツ系で 考えると,計量は局所的に $ g_{00}=-1$ , $ g_{0i} = g_{i0} = 0$ , $ g_{ij}
= a^2 \delta_{ij}$ となる.さらに,一様性によってインフラトンの空間微 分をゼロとおくと,運動方程式(5.3.30)は

$\displaystyle \ddot{\phi} + 3H\dot{\phi} + c^2 V'(\phi) = 0$ (E.3.32)

となる.この式はポテンシャル$ V$ 中をまさつを受けながら1次元空間を運動 する質点系と等価な方程式であり,インフラトン場の振舞いはこの質点の運動 の振舞いに置き換えて考えることができる.また,エネルギー運動量テンソル は
$\displaystyle T_{00}$ $\displaystyle =$ $\displaystyle \frac{1}{2 c^2} \dot{\phi}^2 + V(\phi),$ (E.3.33)
$\displaystyle T_{0i}$ $\displaystyle =$ $\displaystyle T_{i0} = 0,$ (E.3.34)
$\displaystyle T_{ij}$ $\displaystyle =$ $\displaystyle \left[\frac{1}{2 c^2} \dot{\phi}^2 - V(\phi)\right]\delta_{ij}$ (E.3.35)

となる.ここから,場のエネルギー密度,圧力が
$\displaystyle \rho_\phi$ $\displaystyle =$ $\displaystyle \frac{1}{2 c^2} \dot{\phi}^2 + V(\phi),$ (E.3.36)
$\displaystyle p_\phi$ $\displaystyle =$ $\displaystyle \frac{1}{2 c^2} \dot{\phi}^2 - V(\phi)$ (E.3.37)

であることが読み取れる.

この最後の式において, $ V = {\mit\Lambda}/8\pi G$ , $ \dot{\phi} = 0$ のとき, ちょうど宇宙定数のエネルギー運動量テンソル(5.2.10)になることに着 目しよう.このスカラー場が $ \vert\dot{\phi}\vert \ll c^2 V$ を満たしながらゆっく りと$ V>0$ を運動することにより,ドジッター宇宙が実現できるのである.古 典スカラー場の真空エネルギーがちょうど宇宙定数の役割を果たしていること になる.例として,図5.2のようなポテンシャルを持つスカラー場を 考えてみよう.

図 5.2: インフレーションを引き起こすスカラー場のポテンシャルの例
\includegraphics[height=10pc]{figs/fig00.eps}
このスカラー場はインフレーションが始まるときに $ \phi = \phi_{\rm in}$ という値を持っていて,これが何らかの理由によって真の真空ではなくなって いるとする.すると,スカラー場の値はポテンシャルの最小点である真の真空 $ \phi_0$ へ向かって落ちていくことになる.すると,インフレーション中は $ V(\phi)>0$ を真空エネルギーとして指数関数的膨張期となる.この運動はい つまでも続くわけではなく,いずれ真の真空へ落ち着くことになる.ここでド ジッター期が終わり,インフレーションが終了することになる.

このときに,必要なインフレーションを引き起こせるためのポテンシャルがど のようなものかみるため,スローロール近似:

$\displaystyle \vert\ddot{\phi}\vert$ $\displaystyle \ll$ $\displaystyle c^2 V'(\phi)$ (E.3.38)
$\displaystyle \vert\dot{\phi}\vert^2$ $\displaystyle \ll$ $\displaystyle c^2 V(\phi)$ (E.3.39)

を採用して考える.このとき,はじめの式(5.3.38)から運動方程式 (5.3.32)は,

$\displaystyle \dot{\phi} \simeq - \frac{c^2}{3H} V'(\phi)$ (E.3.40)

と近似される.さらにこのとき,スカラー場のエネルギーが他の物質のエネル ギーを大きく上回っているとするとフリードマン方程式(3.1.12)は,

$\displaystyle H^2 \simeq \frac{8\pi G}{3 c^2} V(\phi)$ (E.3.41)

である.ただしいま初期宇宙を考えているため曲率や宇宙項は無視できるもの としている.すると,式(5.3.25)で表される,インフレーションの膨張 指数は
$\displaystyle N$ $\displaystyle =$ $\displaystyle \int_{t_{\rm i}}^{t_{\rm f}} H dt =
\int H \frac{d\phi}{\dot{\phi}} \simeq
- \int \frac{3 H^2}{c^2 V'(\phi)} d\phi$  
  $\displaystyle \simeq$ $\displaystyle \frac{8\pi G}{c^4} \int \frac{V(\phi)}{V'(\phi)} d\phi
= \frac{8...
...nt_{\phi_{\rm i}}^{\phi_{\rm f}}
\left(-\frac{d\ln V}{d\phi}\right)^{-1} d\phi$ (E.3.42)

となる.最後の形から,ポテンシャルの傾きが小さければ十分なインフレーショ ンが起こせることになる.


インフレーションと初期ゆらぎ

インフレーションはこのように標準モデルの不自然な点を避けることができる のだが,それだけにとどまらず,我々の宇宙の物質や構造の起源をある程度説 明する可能性もある.インフレーションが終りに近付くと,スカラー場が $ \phi_0$ のまわりで振動するが,この振動エネルギーは他の粒子との相互作用 によって宇宙の熱エネルギーへと転化する.これにより,急激な膨張によって 冷え切った宇宙が再加熱することになる.さらに、ここまで無視してきたが, スカラー場には量子ゆらぎがある.この量子ゆらぎはインフレーションによっ て大きなスケールに拡大され,結局は宇宙の密度ゆらぎになると期待されてい る.これは以下に説明するように、宇宙の構造形成の種となっていると考えら れるのである。

インフレーションシナリオにおいては、インフレーション前のハッブルスケー ル以下のゆらぎは微視的相互作用によってならされて消えてしまっていること になっている。ただ、インフラトン場や重力場の値には量子力学的な不確定性 によって確定した値を持たずにゆらぎが存在する。このような量子ゆらぎは消 すことはできずに残る。すると、この量子ゆらぎはインフレーション中にハッ ブルスケールを越えることによってゆらぎが「凍り付いて」、古典的なゆらぎ になると考えられているE1。こうして超ハッブル スケールに生成されたゆらぎは、インフレーション終了後再びハッブルスケー ルの中に入ってきて、構造形成の種となる。

つまり、最終的に生成される宇宙の密度ゆらぎはもともとインフラトン場の量 子力学的不確定性に起源を持つことになる。以下、生成されるゆらぎの大きさ を見積もってみる。まず、インフレーション中のインフラトン場の値がゆらい でいるため、インフレーションが終わる、つまりインフラトン場がポテンシャ ルの最小点に達する時刻は場所によって異なることになる.インフラトン場の 力学的エネルギーは最終的に物質に転化するが、このとき場のゆらぎによって 物質化しはじめる時刻が場所ごとに違うことになる。ここでは定性的な議論と して、あるハッブル体積中における平均的な場の値が、宇宙全体の平均から $ \delta\phi$ だけずれていたと考えてみよう.宇宙全体での平均的な場の時間 微分を $ \dot{\phi}$ とすると、この体積中でのインフラトン場の発展は、平均 的な場の発展に比べて、時間

$\displaystyle \delta t = \frac{\delta\phi}{\dot{\phi}}$ (E.3.43)

だけずれた発展をすることになる。すると、インフレーションが終わってイン フラトン場が物質化するときには同じ密度を生むとしても、この時間のずれの 間宇宙が膨張するので、できる密度にはむらが生じることになる。密度$ \rho$ はスケール因子$ a$ $ \rho \propto a^{-3}$ の関係にあるから、時刻のずれに より生じる密度ゆらぎは $ \delta = \delta\rho/\rho = -3 \delta a/a =
-3H\delta t$ となる。したがって、

$\displaystyle \delta \sim \frac{H\delta\phi}{\dot{\phi}}$ (E.3.44)

となる。ただし,いまは半定性的な議論をしているので、符合や数値因子は無 視している.

ここで,インフラトン場のゆらぎが与えられれば密度ゆらぎが与えられるが, インフラトン場のゆらぎは量子ゆらぎにより与えられる.その正確な計算は第 11章で行われるが,ここでは簡単な議論によりその大きさを見 積もってみる.いま,インフレーション中,場のポテンシャルはほぼ一定値を とるので,簡単のためラグランジアン密度(5.3.29)で$ V$ の項を無視し た,自由場のラグランジアン

$\displaystyle L = \frac12 \int \sqrt{-g}d^3x g^{\mu\nu} \partial_\mu \phi \partial_\nu \phi$ (E.3.45)

をもとに量子ゆらぎの自由度を考えてみる.場のフーリエ変換 (5.2.13)と平坦なRW計量を用いて,このラグランジアンは

$\displaystyle L = \frac{a^3}{2} \sum_{\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}} \left( \f...
...^2} - \frac{k^2}{a^2} \vert\phi_{\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}}\vert^2 \right)$ (E.3.46)

となる.ただし,本来計量のゆらぎと場のゆらぎは必ず結合しているので,こ のようにゆらぎなしの平坦計量を代入する取り扱いは正確ではないが,いまゆ らぎのオーダーを見積もろうとする目的には十分である.このラグランジアン は波数ごとに独立な1次元調和振動子に似た形をしているが,ちょうど質量が $ \propto a^3$ , 角振動数が $ \propto k^2/a^2$ のように時間変化するような振 動子となっている.ある1つのフーリエモードに着目し, $ r \equiv m^{-1/2}
c^{-1} \vert\phi_{\mbox{\scriptsize\boldmath $k$}}\vert$ , $ \omega \equiv ck$ とおけば,このモードのラグ ランジアンは

$\displaystyle L = \frac{1}{2}ma^3 \left(\dot{r}^2 - \frac{\omega^2}{a^2} r^2 \right)$ (E.3.47)

となり,ここから運動方程式は

$\displaystyle \ddot{r} + 3H\dot{r} + \frac{\omega^2}{a^2} r = 0$ (E.3.48)

となる.この方程式は時間変化するばね定数をもつ振動子がまさつを受けなが ら運動する系と等価である.これは古典力学の基本的な問題であり,時間に関 するフーリエ変換を用いて容易に解を得ることができる.その結果,解はま さつの係数$ 3H$ と振動周波数$ \omega/a$ の大小によって振舞いが異なる.こ の2つの場合分けはちょうど着目する物理的スケール$ a/k$ がハッブル半径 $ c/H$ を超えているかどうかという場合分けと一致する.

まず,ハッブル半径よりも十分小さなスケール$ ck \gg aH$ ではまさつ項は重 要でなく,周波数がゆっくりと変化する調和振動子となる.この場合には断熱 近似により各時刻で$ a$ が一定の調和振動子と見なしてよくなる.するとラグ ランジアン(5.3.47)は質量 $ m_0 = ma^3$ , 角振動数 $ \omega_0 =
\omega/a$ の調和振動子に対応する.この系を量子化した場合の基底状態の位 置のゆらぎを求めることは量子力学の初歩的な問題であり, $ \langle r^2
\rangle = \hbar /(2m_0\omega_0) = \hbar/(2m\omega a^2)$ で与えられる. これをもとの場のフーリエモードの量子ゆらぎで表せば,

$\displaystyle \vert\delta\phi_{\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}}\vert^2 \sim \frac{\hbar c}{a^2 k}$ (E.3.49)

となる.この基底状態のゆらぎは断熱的であるので,ハッブル半径内にとどま る限りどの時刻をとってみても成り立つ関係である.

次に,ハッブル半径よりも十分大きなスケール$ ck \ll aH$ では逆にまさつ項 のみになって運動が止まってしまう.つまり,ホライズンより大きなスケール ではゆらぎが凍り付いてしまうE2

インフレーション理論の枠組では,現在宇宙論的に観測されているスケールは インフレーション前にハッブル半径内にあったものがいったんハッブル半径の 外に出て,再びハッブル半径内に入ってきたものである.したがって,現在観 測される宇宙のゆらぎ成分がインフレーション中の量子ゆらぎにその起源をも つならば,次のようなプロセスをたどることになる.すなわち,はじめ量子ゆ らぎがハッブル半径内で生成される.そのゆらぎのスペクトルは式 (5.3.49)で与えられる.この量子ゆらぎがいったんハッブル半径の外 に出ると,このゆらぎの振幅は凍り付いて,それ以上変化しなくなる.またこ のときにゆらぎが古典化されるものと仮定する.このとき,あるスケールのゆ らぎの振幅は,そのスケールがハッブル半径を出る時刻で式(5.3.49) で与えられる振幅の値に凍り付く.したがって,この式をスケール$ k$ がちょ うどハッブル半径に等しくなる時点,$ a = ck/H$ で評価することにより,最終 的にハッブル半径の外にできるゆらぎの振幅が得られることになる.したがっ て,インフレーションが終わった段階でハッブル半径の外に

$\displaystyle \vert\delta\phi_{\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}}\vert^2 \sim \frac{\hbar}{c k^3} H^2$ (E.3.50)

というスペクトルのゆらぎが形成されることになる.ただしここで$ H$ はイン フレーション中にほぼ一定とみなされたハッブルパラメータの値であり,イン フレーション後のものではないことに注意せよ.ここでスペクトル $ \vert\delta\phi_{\mbox{\scriptsize\boldmath $k$}}\vert^2$ $ \phi^2$ の次元に比べて $ ($長さ$ )^3$ の余 計な次元を持ち,次元を合わせたスペクトル $ k^3\vert\delta\phi_{\mbox{\scriptsize\boldmath $k$}}\vert^2/2\pi^2$ が実空間スケール$ 1/k$ におけるゆらぎ の振幅を表すが,これはスケールによらずに一定の振幅を持つような,スケール不変(scale-invariant)なゆらぎとなる.

したがって場のゆらぎの振幅は,ハッブル半径以上ではスケールにかかわらず

$\displaystyle \delta\phi \sim \sqrt{\frac{\hbar}{c}} H$ (E.3.51)

となる.これを式(5.3.44)に代入すれば,インフレーションによりハッ ブルスケールを越えるスケールにできるゆらぎが

$\displaystyle \delta \sim \sqrt{\frac{\hbar}{c}} \frac{H^2}{\dot{\phi}}$ (E.3.52)

のオーダーとなることになる。インフレーション中では$ H$ $ \dot{\phi}$ は ゆっくりとしか変化しない。このため、ハッブルスケールを超えるゆらぎの振 幅はほとんどスケールに依らないという性質をもつ.インフレーションが終了 した後も,ハッブル半径を超えるスケールのゆらぎの振幅は変化しないため, インフレーション後にハッブル半径内に入ってくるゆらぎの振幅はほぼ一定の 振幅を持つことになる.このようにスケールに依らない振幅をもつ初期ゆらぎ はハリソン・ゼルドビッチスペクトルと呼ばれ、現在のところ観測とよく合致 する.このゆらぎの性質はインフレーション理論のかなり普遍的な予言であり、 もともとインフレーション中の宇宙が時間並進不変なドジッター宇宙であるこ とから来ている。インフレーション中は物理的なハッブルスケールが一定であ り、そのスケールに同じ振幅のゆらぎが刻み込まれるからである.さらにまた、 密度ゆらぎの源がインフラトン場の量子ゆらぎであることから、(インフラト ン場の自己結合が小さいと仮定すれば)密度ゆらぎはガウシアンゆらぎとなる。

このようにインフレーション理論から導かれる作られる密度ゆらぎのスペクト ルのスケール依存性は普遍的であり、かつ観測ともよく合うが、その絶対的な 振幅は $ \hbar H^2/c\dot{\phi}$ の値自体を通じてモデルに依存する。観測的にこれは $ 10^{-5}$ 程度であるが、通常のインフレーションモデルにおいてこれは自然 なパラメータの範囲で満たされず、ゆらぎが大きくなり過ぎてしまうことが知 られている。この問題を回避するには、インフラトンのポテンシャルが極めて 平坦でなければならないが、これをパラメータの微調整によって行うならば、 そもそも微調整問題をさけるべく導入されたインフレーションそのものの動機 に逆らうことになる。

いろいろなインフレーションモデル

もともとのインフレーションモデルは$ SU(5)$ GUTにおけるヒッグス場の有効 ポテンシャルが一次相転移を起こすとして提案されたものである.これは古い インフレーションモデルと呼ばれ,そのスカラー場ポテンシャルは図 5.3のようになる.

図 5.3: 古いインフレーションモデルにおけるスカラー場ポテンシャル
\includegraphics[height=10pc]{figs/fig00.eps}
このモデルでははじめ温度が高いときには$ \phi=0$ にポテンシャルの最小値の ある通常のポテンシャルを持っていて,スカラー場の値もそこにある.次第に 温度が下がるにつれて,他の場所にも極小値ができるようになり,ある臨界温 度$ T_{\rm c}$ を下回ると,最小値が $ \phi \neq 0$ の場所へ移る.すると $ \phi=0$ は偽の真空となる.その後もしばらくは$ \phi=0$ にとどまったまま過 冷却するが,そのうちトンネリングにより,この偽の真空から抜け出してくる. ここでインフレーションが始まることになる.

このモデルはインフレーション宇宙の考え方を有名にした最初のモデルである が,提案された当初から,インフレーションがうまく終わらないという問題点 があることが明らかになっていた.そこで,次に,コールマンとワインバーグ によって導かれた図5.4のような有効ポテンシャルを用いる,新しい インフレーションモデルと呼ばれるものが提案された.

図 5.4: 新しいインフレーションモデルにおけるスカラー場ポテンシャル
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このモデルでは温度の高いときには$ \phi=0$ にポテンシャル極小値があり,は じめそこにスカラー場がある.この局所的なくぼみは温度の低下とともに浅く なり,そのうちスカラー場は $ \phi \neq 0$ へトンネリングして出てくる.そ の先には非常に平坦なポテンシャルの坂があり,ここで十分なインフレーショ ンを起こすことができる.さらに先には真の真空へ落ちる急峻なポテンシャル の崖があり,ここでインフレーションが終わる.

このモデルはたいへんよい特徴を持っているのだが,観測的に無矛盾な宇宙に するのにはモデルのパラメータに微調整が必要であることが判明した.そもそ もインフレーションモデルは標準モデルの微調整の問題を避けるためのもので あるため,インフレーションモデルに微調整が必要となると,何のためにある のかよくわからない.そのため,だんだんと興味が失われていった.

ここまでは素粒子の統一理論に基づいた,比較的現実味を帯びたスカラー場の ポテンシャルを用いたモデルであったが,あまりうまく行かないことがわかっ てきた.そのため,統一理論とは切り離して,現実の宇宙と矛盾しないような ポテンシャルを自由に考えるということがなされるようになる.その一つはカ オティックインフレーションというもので,図5.5のような単純なポ テンシャルを持つものである.

図 5.5: カオティックインフレーションモデルにおけるスカラー場ポテンシャル
\includegraphics[height=10pc]{figs/fig00.eps}
このポテンシャルは単に$ \phi=0$ に最小値があるだけで,もはや相転移は起ら ない.そのかわり,スカラー場の初期状態が $ \phi \neq 0$ にランダムにある とするのである.すると,この初期状態からスカラー場が真空$ \phi=0$ へ向かっ て運動するときにインフレーションが起ることになる.実は,このカオティッ クインフレーションもよく調べると微調整が必要であることがわかっている.

その後も数限りなくいろいろなインフレーションモデルが提案されてきている が,いまだ,現実の宇宙のモデルとして説得力を持つものは存在しないのが現 状である.GUTに基づくモデルは微調整問題に見舞われたり,量子ゆらぎが大 きすぎたりと,問題が多い.$ SU(5)$ GUTが否定されるなど,素粒子理論にお いて大統一理論そのものの信頼性が薄れてきたこともあり,その足場もしっか りしなくなっている.GUTではない他のモデル,例えば超重力理論,超弦理論, Brans-Dicke理論,余次元理論,などなどに基づいたインフレーションモデル もいろいろと考えられている.また,基本的な物理理論から切り離してインフ ラトンポテンシャルを考えるモデルも,カオティックインフレーション,巾則 インフレーション,ハイブリッドインフレーションなどなど,たくさん考えら れている.このように,当初の比較的シンプルなアイディアからすると,これ らのモデルはかなり複雑化してしまっている.現状では,このようないろいろ モデルが乱立する理由の一つは,モデルを確かめるための定量的な観測的情報 が限られていることにあるであろう.その結果,インフレーションモデルの数 がインフレーションしてしまった.

また,インフレーションモデルは宇宙定数問題については解決していない. GUTスケールでインフレーションが起ったとすると,その時の場の真空エネル ギー密度の典型的な値は $ 10^{88} c^2 {\rm g/cm^3}$ である.これがインフレー ション後に宇宙定数のエネルギー密度の現在値 $ 10^{-29} c^2 {\rm g/cm^3}$ だけ残してキャンセルしなければならないため,依然117桁の微調整が必要と なる.

以上のように,インフレーションモデルはたいへん魅力的な側面を持つ一方, その具体的なモデルの構築となると困難も大きいのが現状である.現状でイン フレーション理論を支持する直接的な観測的事実はゆらぎのスケール不変性、 すなわちハリソン・ゼルドビッチスペクトルである。これを元にインフレーショ ン理論が証明されたという研究者もいるが、それだけのことから証明されたと まで言うのはまだ時期尚早であろう。ゆらぎの振幅の問題もある。インフレー ションモデルの導入の最大の動機である宇宙のホライズン問題や,平坦性問題 は宇宙が最初にできたころにその真の理由がある可能性も捨てきれるわけでは ない。現実の宇宙で本当にインフレーションがあったのかどうかは,今後の研 究により明らかにされるべき課題というのが妥当なところであろう.



Footnotes

... になると考えられているE1
この古典化のプロセスが具体的にどのよう な機構なのか必ずしもはっきりしているわけではない。
... ではゆらぎが凍り付いてしまうE2
10章では詳述するよう に,実は超ホライズンスケールのゆらぎには一意的な定義がないので,この解 釈には注意が必要である.また,超ホライズンスケールでのゆらぎの変化は因 果律を破るものではないので,必ずしも超ホライズンスケールでのゆらぎが一 定にならなければならないということはない.事実,超ホライズンスケールで 成長するゆらぎを定義して使うことも一般的である.

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