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標準モデルの問題点

ビッグバンモデルに基づく宇宙の標準モデルは観測との符合に支えられて,大 きな成功を収めているが,ずっと宇宙の初期に時間を遡っていくと,理論的に 見て不自然な点がいくつかある.我々の宇宙ができるためには宇宙の初期では かなり不自然な条件を満たしていなければならないのである.以下に,それ らを具体的に見てみる.

ホライズン問題

粒子的ホライズンのサイズは輻射優勢時, $ l_{\rm H} = 2 ct$ であるが, 時間を遡っていくと当然ながら,これはどんどん小さくなっていく.すなわち, 宇宙の初期には現在のホライズンサイズよりもずっと小さなスケールであって も情報が伝わらない.宇宙において物質の密度などの状態が確定した時期,ホ ライズンサイズよりも離れた場所ではお互いの状態は全く独立なはずである. したがって,その間で物質の密度などが一致する理由はない.すると,現在の 我々の宇宙はかなり非一様なものとなるはずであるが,これは観測と合わない.

我々の宇宙では現在のホライズンのスケールに渡って極めて一様である.とく に,宇宙背景放射の温度は$ 10^{-5}$ の精度で等方的になっている.我々に観 測される宇宙背景放射の光子が出発した場所は,我々の現在のホライズンの果 てにほぼ等しい.したがって,宇宙の全く反対側から来る背景放射が同じ温度 を持つことは,現在のホライズンの直径である6Gpcのスケールで宇宙は一様で あることになる.

一方,宇宙初期,温度が$ T$ のときのホライズン半径は,式(4.2.32) より,

$\displaystyle l_{\rm H} = 2 c t = 1.4 \times 10^{-27} {g_*}^{-1/2} \left(\frac{k_{\rm B}T}{10^{15}{\rm GeV}}\right)^{-2}  {\rm m}$ (E.2.6)

となっている.これは共動距離にして,

$\displaystyle L_{\rm H} = \left(\frac{g_{*S}}{g_{*S0}}\right)^{1/3} \frac{T}{T_...
...}\right)^{-1/6} \left(\frac{k_{\rm B}T}{10^{15}{\rm GeV}}\right)^{-1}  {\rm m}$ (E.2.7)

に対応する.現在の物質構成がGUT期 $ k_{\rm B}T \sim 10^{15} {\rm GeV}$ に 定まったとして,その時の相対論的粒子の自由度を仮に100程度としてみると, その当時のホライズン半径は,その後の膨張によって引き延ばされても現在 やっと2m程度にしかならないのである.現在の一様性は $ 6{\rm Gpc} \sim
10^{26} {\rm m}$ であり,そのスケールには26桁もの食い違いがある.

平坦性問題

現在の宇宙の曲率は小さく,その値が有限の値を持っているという積極的な証 拠はない.有限な値を持っているとしても,その値は現在の曲率パラメータに して $ {\mit\Omega}_{\rm K0} \lower.5ex\hbox{$\; \buildrel < \over \sim \;$}1$ であることが観測的にわかっている.曲率 パラメータは $ {\mit\Omega}_{\rm K0} = c^2 K/{H_0}^2$ であり,これはハッブル半 径と曲率半径の比の2乗である.すなわち,これが1程度かそれ以下ということ は,曲率半径がホライズンスケールかそれ以上であることを意味する.すると また,宇宙初期にはホライズンスケールがずっと小さいため,初期の曲率半径 はホライズンスケールに比べて極めて不自然に大きいものとなる.

具体的には,時刻に依存する曲率パラメータについて,輻射優勢期における関 係式から,

$\displaystyle {\mit\Omega}_{\rm K} = \frac{{H_0}^2}{a^2 H^2} {\mit\Omega}_{\rm ...
...3} \left(\frac{k_{\rm B}T}{10^{15} {\rm GeV}}\right)^{-2} {\mit\Omega}_{\rm K0}$ (E.2.8)

となる.GUT期のような初期に曲率はこのような不自然に小さい値となってい る.これは曲率半径にすれば,当時のハッブル半径の$ 10^{26}$ 倍以上である. 宇宙の曲率が定まったのはGUT期よりも以前であろうとすると,その初期条件 としては,極めて不自然な微調整である.曲率は密度パラメータおよび宇宙定 数と, $ {\mit\Omega}_{\rm K} = {\mit\Omega}+ {\mit\Omega}_\Lambda - 1$ の関係があるこ とを思い出せば,これは物質の量と宇宙定数の値が不自然に$ 10^{-53}$ もの精 度で微調整されて $ {\mit\Omega}+ {\mit\Omega}_\Lambda = 1$ となっていたということ にもなる.

不必要なrelics

素粒子理論には標準模型を超える理論として,さまざまな統一理論が提案され ているが,そのほとんどは現在観測されない粒子などを生み出してしまうとい う問題がある.例えば,超重力理論(supergavity theory)ではグラビティーノ (gravitino) と呼ばれる重力子の超対称パートナーとなる粒子であったり,超 弦理論(superstring theory)においてはスピン0モジュライ粒子(moduli spin0 particle)と呼ばれる真空をパラメトライズする場であったり,また, 統一理論における真空の相転移に伴って発生するモノポール(monopole),宇宙 紐(cosmic string),ドメインウォール(domain wall),あるいはテクスチャー (texture)であったりする.これらはすべて,我々の宇宙では観測されないも のである.もしこのような統一理論を信ずるならば,これらの不必要なものは なんらかの機構で現在の宇宙には現れて来ないようになっていなければならな い.

宇宙定数問題

平坦性問題のところで最後に述べたように,宇宙定数は例えばGUT期には $ 10^{-53}$ もの精度で $ {\mit\Omega}_\Lambda = 1 - {\mit\Omega}$ という値に微調整さ れていなければならない.だが,宇宙定数には,その起源を考えてみるともっ と厳しい,想像を絶するような不自然さが存在する.

アインシュタインによって導入された宇宙定数は,空間に固有の量であり,た とえ真空であっても,有限のエネルギー密度を与える.アインシュタイン方程 式において,宇宙定数の項を右辺に持って来て,これをエネルギー運動量テン ソルへの寄与であるとみなして

$\displaystyle {G^\mu}_\nu = \frac{8\pi G}{c^4} \left({T^\mu}_\nu + {{T_{\mit\Lambda}}^\mu}_\nu\right)$ (E.2.9)

の形にすると,

$\displaystyle {{T_{\mit\Lambda}}^\mu}_\nu = -\frac{c^4 {\mit\Lambda}}{8\pi G} {\delta^\mu}_\nu$ (E.2.10)

となる.つまり物質でいえば,エネルギー密度が $ c^4 {\mit\Lambda}/8\pi G$ ,圧 力が $ -c^4{\mit\Lambda}/8\pi G$ に対応するものであることがわかる.これは,圧 力が負であって,通常の物質とは全く異なる性質をもっている.圧力が負とい うのはかなり奇妙であるが,これは,単位体積あたりのエネルギーが一定とい う通常の物質にはない性質による.断熱膨張したときにエネルギーが増えるた め,熱力学第一法則を満たすためには必然的に圧力が負にならざるを得ないの である.宇宙定数は,空間の体積そのものに結びつけられるエネルギー,つま り,空間そのもののエネルギー,あるいは真空のエネルギーであるということ ができる.

このような真空のエネルギーというものは,実は,量子場の理論において自然 に現れてくる.これを説明するために,まず,量子化された調和振動子のエネ ルギースペクトルを思い出してみよう:

$\displaystyle E_n = \hbar \omega \left(n + \frac12 \right),\qquad (n=0,1,2,\ldots)$ (E.2.11)

ここで,$ \omega$ は調和振動子の角振動数である.基底状態のエネルギーはゼ ロではなく,有限の値, $ \hbar\omega/2$ を持つことに注意しよう.これを ゼロ点エネルギー(zero-point energy)と呼ぶ.

量子場においては,場のフーリエモード$ k$ ごとに調和振動子と同様の自由度 がある.簡単な例として平坦な空間において質量なしの自由スカラー場 $ \phi({\mbox{\boldmath $x$}},t)$ を考えると,そのラグランジアンは

$\displaystyle L = \frac 12 \int d^3x \partial^\mu\phi \partial_\mu\phi$ (E.2.12)

で与えられる.ここで場は無限自由度を持ち,そのままでは取り扱い上都合が 悪い.このような場合の常套手段として一時的に空間全体を周期境界条件を持 つ有限体積$ V$ で置き換え,最終的な結果において $ V\rightarrow\infty$ とす るという手法を用いる.するとこのとき,場の逆フーリエ変換

$\displaystyle \phi({\mbox{\boldmath$x$}},t) = \frac{1}{\sqrt{V}} \sum_{\mbox{\s...
...\cdot{\mbox{\scriptsize\boldmath$x$}}} \phi_{\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}}(t)$ (E.2.13)

をこのラグランジアンに代入することにより,

$\displaystyle L = \frac12 \sum_{\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}} \left( \frac{\v...
...}}\vert^2}{c^2} - k^2 \vert\phi_{\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}}\vert^2 \right)$ (E.2.14)

となるので,各フーリエモードは独立になっている.かつその形は1次元調和 振動子のラグランジアン

$\displaystyle L = \frac12 m \dot{r}^2 - \frac 12 m \omega^2 r^2$ (E.2.15)

と等価である.すなわち,各フーリエモードを独立な1次元調和振動子と見な すことができ,その対応は第1項から $ \vert\phi_{\mbox{\scriptsize\boldmath $k$}}\vert \leftrightarrow
m^{1/2} c r$ となり,さらに第2項から $ \omega \leftrightarrow ck \equiv
\omega_k$ と対応することになる.

したがって,各々のモードの基底状態はゼロ点エネルギー $ \hbar \omega_k/2
= \hbar ck/2$ を持ち,それを可能な波数ベクトル $ {\mbox{\boldmath $k$}}$ で足し合わせたも のが場の全体の基底状態のゼロ点エネルギーを与えることになるのである.1 次元方向の周期境界の間隔を$ L$ とすると許される波数間隔は $ \Delta k =
2\pi/L$ となるから, $ V\rightarrow\infty$ の極限では $ d^3k = (2\pi)^3/V$ と対応し,結局場のゼロ点エネルギーの密度,すなわち真空エネルギーは

$\displaystyle \rho_{\rm vac} = \frac{1}{V} \sum_{\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}} \frac12 \hbar \omega_k = \int \frac{d^3k}{(2\pi)^3} \hbar c k$ (E.2.16)

と計算される.この積分は発散しているため,文字通り受け取れば,量子場の ゼロ点エネルギーは発散しているということになる.だが,無限に小さなスケー ルまで通常の場の理論が成り立っているとは考えられないので,波数$ k$ につ いての積分の上限を無限までとることは正当ではない.場の理論は少なくとも プランク長

$\displaystyle l_{\rm P} = \left(\frac{G\hbar}{c^3}\right)^{1/2} = 1.61 \times 10 ^{-35} {\rm m}$ (E.2.17)

においては成り立たなくなる.この長さのスケールは重力場すらも量子論的な ふるまいをしはじめるスケールであり,空間そのものが古典的なものとみなす ことができなくなるスケールである.そこではもはや平坦な空間の上で定義さ れる場の理論を適用することはできない.そこで,オーダーを調べるため,プ ランク長に対応する波数の値, $ k_{\rm max} = 2\pi/l_{\rm P} = 3.90\times
10^{35} {\rm m^{-1}}$ を積分のカットオフとして式(5.2.16)を見積もっ てみよう.すると,質量密度にして,

$\displaystyle \rho_{\rm vac}/c^2 \sim \frac{\hbar c {k_{\rm max}}^4}{16\pi^2} \sim 5\times 10^{94}  {\rm g/cm^3}$ (E.2.18)

という,莫大なものとなる.

これを宇宙定数の起源と考えると,とんでもないことになる.上の質量密度を 現在の臨界密度で割って密度パラメータに直すと,

$\displaystyle {\mit\Omega}_{\rm vac0} \sim 3 \times 10^{123}$ (E.2.19)

という想像を絶する大きな数になる.こんな大きなエネルギー密度があると, 曲率パラメータも$ 10^{123}$ のオーダーとなり,空間のゆがみは大変なものに なるが,上でも見たように,実際には曲率パラメータはオーダー1以下である. すなわち,単純に量子場のエネルギー密度を宇宙定数の起源であるとすると, 観測値との間に123桁もの食い違いが現れてしまうのである.したがって,真 空エネルギーを単純に量子場に同定することができないし,量子場の理論その ものにとっても都合が悪い.何らかの未知の機構が働いて量子場のゼロ点エネ ルギーは123桁もの精度で打ち消し合うなどして,消えていることが必要であ る.現状では具体的にどのような機構でそうなっているのか全くわかっていな い.

最近の観測では宇宙定数は完全にゼロになっているわけではなく, $ {\mit\Omega}_{\mit\Lambda}\sim 0.7$ 程度であることが突き止められつつある.これ は,ますます宇宙定数の謎を深めている.量子場のゼロ点エネルギーがなんら かの対称性によって消えているものとすると,完全に打ち消し合っているのが 自然であると考えられるが,実際には$ 10^{-123}$ の割合だけ残して打ち消し ているという異常な不自然さを呈することになる.このように,宇宙定数問題 は宇宙論のみならず,素粒子論の立場からも大きな問題であり,現代物理学の 最大の謎のひとつである.


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