ビッグバンモデルに基づく宇宙の標準モデルは観測との符合に支えられて,大 きな成功を収めているが,ずっと宇宙の初期に時間を遡っていくと,理論的に 見て不自然な点がいくつかある.我々の宇宙ができるためには宇宙の初期では かなり不自然な条件を満たしていなければならないのである.以下に,それ らを具体的に見てみる.
粒子的ホライズンのサイズは輻射優勢時, であるが, 時間を遡っていくと当然ながら,これはどんどん小さくなっていく.すなわち, 宇宙の初期には現在のホライズンサイズよりもずっと小さなスケールであって も情報が伝わらない.宇宙において物質の密度などの状態が確定した時期,ホ ライズンサイズよりも離れた場所ではお互いの状態は全く独立なはずである. したがって,その間で物質の密度などが一致する理由はない.すると,現在の 我々の宇宙はかなり非一様なものとなるはずであるが,これは観測と合わない.
我々の宇宙では現在のホライズンのスケールに渡って極めて一様である.とく に,宇宙背景放射の温度は の精度で等方的になっている.我々に観 測される宇宙背景放射の光子が出発した場所は,我々の現在のホライズンの果 てにほぼ等しい.したがって,宇宙の全く反対側から来る背景放射が同じ温度 を持つことは,現在のホライズンの直径である6Gpcのスケールで宇宙は一様で あることになる.
一方,宇宙初期,温度が のときのホライズン半径は,式(4.2.32) より,
現在の宇宙の曲率は小さく,その値が有限の値を持っているという積極的な証 拠はない.有限な値を持っているとしても,その値は現在の曲率パラメータに して であることが観測的にわかっている.曲率 パラメータは であり,これはハッブル半 径と曲率半径の比の2乗である.すなわち,これが1程度かそれ以下ということ は,曲率半径がホライズンスケールかそれ以上であることを意味する.すると また,宇宙初期にはホライズンスケールがずっと小さいため,初期の曲率半径 はホライズンスケールに比べて極めて不自然に大きいものとなる.
具体的には,時刻に依存する曲率パラメータについて,輻射優勢期における関 係式から,
素粒子理論には標準模型を超える理論として,さまざまな統一理論が提案され ているが,そのほとんどは現在観測されない粒子などを生み出してしまうとい う問題がある.例えば,超重力理論(supergavity theory)ではグラビティーノ (gravitino) と呼ばれる重力子の超対称パートナーとなる粒子であったり,超 弦理論(superstring theory)においてはスピン0モジュライ粒子(moduli spin0 particle)と呼ばれる真空をパラメトライズする場であったり,また, 統一理論における真空の相転移に伴って発生するモノポール(monopole),宇宙 紐(cosmic string),ドメインウォール(domain wall),あるいはテクスチャー (texture)であったりする.これらはすべて,我々の宇宙では観測されないも のである.もしこのような統一理論を信ずるならば,これらの不必要なものは なんらかの機構で現在の宇宙には現れて来ないようになっていなければならな い.
平坦性問題のところで最後に述べたように,宇宙定数は例えばGUT期には もの精度で という値に微調整さ れていなければならない.だが,宇宙定数には,その起源を考えてみるともっ と厳しい,想像を絶するような不自然さが存在する.
アインシュタインによって導入された宇宙定数は,空間に固有の量であり,た とえ真空であっても,有限のエネルギー密度を与える.アインシュタイン方程 式において,宇宙定数の項を右辺に持って来て,これをエネルギー運動量テン ソルへの寄与であるとみなして
このような真空のエネルギーというものは,実は,量子場の理論において自然 に現れてくる.これを説明するために,まず,量子化された調和振動子のエネ ルギースペクトルを思い出してみよう:
量子場においては,場のフーリエモード ごとに調和振動子と同様の自由度 がある.簡単な例として平坦な空間において質量なしの自由スカラー場 を考えると,そのラグランジアンは
したがって,各々のモードの基底状態はゼロ点エネルギー を持ち,それを可能な波数ベクトル で足し合わせたも のが場の全体の基底状態のゼロ点エネルギーを与えることになるのである.1 次元方向の周期境界の間隔を とすると許される波数間隔は となるから, の極限では と対応し,結局場のゼロ点エネルギーの密度,すなわち真空エネルギーは
これを宇宙定数の起源と考えると,とんでもないことになる.上の質量密度を 現在の臨界密度で割って密度パラメータに直すと,
最近の観測では宇宙定数は完全にゼロになっているわけではなく, 程度であることが突き止められつつある.これ は,ますます宇宙定数の謎を深めている.量子場のゼロ点エネルギーがなんら かの対称性によって消えているものとすると,完全に打ち消し合っているのが 自然であると考えられるが,実際には の割合だけ残して打ち消し ているという異常な不自然さを呈することになる.このように,宇宙定数問題 は宇宙論のみならず,素粒子論の立場からも大きな問題であり,現代物理学の 最大の謎のひとつである.