[UP] [HOME]

宇宙という奇跡

(星の会会誌第16号寄稿原稿、生命と宇宙微調整問題についての題材を多少わかりやすく した文章)

いわゆる「奇跡」という現象は非科学的なものの典型である。科学的方法 とは再現性のある現象のみを取り出して研究するものなので、「奇跡」につい ては研究しようがないのである。だが、地球上で何度も実験できるような現象 を扱っている間はその通りなのであるが、宇宙の研究ではそうともいいきれな い。とくに宇宙の始まりなどを考え出すと、何度も宇宙の誕生を再現してみる というようなことはできない相談である。そこで物理の法則をもとにして理論 的に宇宙のはじまりを推論し、その結論が現在の宇宙の観測と矛盾がないかど うか調べていくという方法がとられる。その結果、かなりのことがわかってき ているのだが、同時に、いまあるような宇宙を作りだすためには奇跡としかい いようのないとんでもない偶然が積み重なっていることが次から次へと明らか になっている。その理由に科学者は頭をひねっている。

この宇宙の存在そのものは奇跡としかいいようのないものなのである。宇 宙の構成は信じられないほど緻密で、ほとんど有り得ないと思うようなことが 平気で実現している。下に説明するように、我々がここにこうして生きていら れるような宇宙が出来る確率は信じられないほど低いはずなのである。

まず、この宇宙がこのように広大なことが奇跡である。宇宙はビッグバン によって始まったので、初めはとても小さかった。そのように小さいものがい まある宇宙まで大きくなるのは大変不自然である。そのためには初期にとてつ もないエネルギーを必要とするが、このエネルギーが少しでも足りないと宇宙 はすぐに自分自身で潰れてしまって、大きくなれない。また逆にエネルギーが 大きすぎると今度は早く大きくなりすぎて、天体ができずに太陽も地球もなに もない宇宙になってしまう。地球ができるためにちょうどよい宇宙となるエネ ルギーの範囲はとてつもなく狭い。宇宙が始まって1秒後、適当に宇宙のエネ ルギーを選んだときにちゃんと地球が出来る宇宙になる確率は 0.000000000000001しかない。一時、この問題はインフレーション理論が解決 すると考えられたことがあったが、現在、宇宙に一様に存在するダークエネル ギーというものの存在が明らかになるにつれ、インフレーション理論を持ち出 してもやはり説明がつかないことになってしまった。

次に、宇宙にいろいろな物質があることが奇跡である。物質というものは いろいろな元素からできている。現在の宇宙には水素から始まって、炭素や鉄 など、全部で百種類以上の元素がある。これらの多様な元素が我々の体を作っ ている。比較的単純な元素は宇宙のビッグバンによって作られ、また他の元素 は星の中で作られてきた。このとき、元素をつくる原子核というものを支配す る物理法則の間に、神がかり的な絶妙な関係がいくつもあり、これらの関係が なければ多様な物質は生まれてこなかったはずなのである。現在の人類の知識 では、これらの奇跡の関係は全くの偶然としか考えられず、しかもほんの少し でもこれらの関係がずれていると多様な物質は全く生まれなかったのである。

宇宙に多様な物質が生まれることによりはじめて生命が誕生することが可 能である。単なる物質から複雑極まりない生命ができるのにはやはり想像を絶 する偶然が必要である。まだ生命の誕生についてはっきりわかっているわけで はないが、単なる物質が偶然集まって生命体が出来る確率はそれこそ天文学的 に小さく、宇宙の年齢を費しても無理だという計算もあるという。こうしてみ ると、ここに我々が存在していることはそれ自体が奇跡以外のなにものでもな い。宇宙はなぜかとんでもなくありそうもない条件をクリアして生命を生むよ うにできているのである。

なぜ信じられないほどの偶然が積み重なってこの宇宙が出来ているのかと いう不思議について、少なくとも二つの考えがある。一つは、宇宙が無数にあ るというものである。そうすれば無数にある宇宙のほとんどは生命の生まれな いつまらない宇宙であるだろうが、極めてわずかな数の宇宙は生命を生むこと ができるだろう。その中の一つに我々が住んでいるのだというわけである。ど こにどうして無数の宇宙があるのかという疑問はあるものの、それを別にすれ ばこの考えは比較的穏健な考えである。もう一つの考えは、宇宙は生命を生む ようにしか出来ない、という過激なものである。この考えの過激さは、生命を すべての中心と考えることにある。生命があるから宇宙が存在するというわけ である。一見、後者の考えは荒唐無稽のように見えるかもしれないが、現代物 理学の観点からいえば必ずしもそうではない。現代物理学で明らかになったミ クロの世界の法則ではものの存在というものに常識は通用しない。例えば、日 常生活において、ものが上にあるか下にあるかというような状態は、人間が見 ていようがいまいがどっちかに定まっているはずである。だが、ミクロの世界 では、実際には人間がそれを見るまで、どっちともいいきれない状態にあると しないと辻褄が合わないのである。これは、生命がものを認識するということ がなにやら重大な意味を持っていることを示している。そう考えると、生命が あるから宇宙があるとする考えもなにやら意味ありげである。

いずれにせよ生命が生まれる宇宙という奇跡が起こる本当の理由はまだ闇 の中であり、確実に説明できる人はどこにもいない。科学を突き進めていけば いずれこのような大きな疑問にも確実な答えが与えられるようになると信じた いものである。それまでは自由に想像の翼をはばたかせておくことにしよう。

2004年6月7日


Takahiko Matsubara
[UP] [HOME]
visitors, pageviews since 2007.5.11