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軽元素合成

上のようにしてできた陽子と中性子を材料として,その後の核反応により元素 が作られることになる.この過程は原子核反応の反応率を与えれば調べること ができる.原子核反応は強い相互作用の非摂動的な過程であるため,これを第 一原理から計算することは現在のところほとんど不可能である.そこで,原子 核反応の反応率を実験データによって与えることにより,元素の合成を調べる ことになる.その計算はさまざまな原子核反応のネットワークを数値計算する ことにより行われる.

その結果,まず自由な陽子と中性子が結合して,重水素 $ d (= {}^2H)$ が作ら れる:

$\displaystyle {\rm n} + {\rm p} \rightarrow {\rm d} + \gamma$    

こうしてできた重水素と自由な陽子,中性子が次のように反応することによっ て,3重水素 $ {}^3{\rm H}$ ,ヘリウム $ {}^3{\rm He}$ , $ {}^4{\rm He}$ などが 作られる.
$\displaystyle {\rm d} + {\rm d}$ $\displaystyle \rightarrow$ $\displaystyle \left\{
\begin{array}{l}
{}^3{\rm H} + {\rm p} \\
{}^3{\rm He} + {\rm n}
\end{array} \right.$  
$\displaystyle {\rm d} + {\rm p}$ $\displaystyle \rightarrow$ $\displaystyle {}^3{\rm He} + \gamma$  
$\displaystyle {\rm d} + {\rm n}$ $\displaystyle \rightarrow$ $\displaystyle {}^3{\rm H} + \gamma$  
$\displaystyle {}^3{\rm H} + {\rm d}$ $\displaystyle \rightarrow$ $\displaystyle {}^4{\rm He} + {\rm n}$  
$\displaystyle \left.
\begin{array}{r}
{}^3{\rm He} + {\rm n} \\
{}^3{\rm H} + {\rm n} \\
{\rm d} + {\rm d}
\end{array} \right\}$ $\displaystyle \rightarrow$ $\displaystyle {}^4{\rm He} + \gamma$  

ここで, $ {}^3{\rm H}$ , $ {}^3{\rm He}$ の束縛エネルギーは小さく,安定な 元素である $ {}^4{\rm He}$ に比べると最終的に数は少なくなる.このような 反応が次々と起こることによって,水素,ヘリウム以外にもLi, Be, B な どの軽元素が作られるが, $ {}^4{\rm He}$ 以外の元素は微量である.したがっ て,はじめに存在した中性子はほとんどが $ {}^4{\rm He}$ の原子核へと取り込 まれることになる.初期に存在する二つの中性子が一つの $ {}^4{\rm He}$ を作 るので,質量にした存在比は,

$\displaystyle Y = \frac{\rm {}^4Heの総質量}{\rm pの総質量 + nの総質量} = \frac{...
...m n}} \simeq \frac{2 n_{\rm n}/n_{\rm p}}{1 + n_{\rm n}/n_{\rm p}} \simeq 25 \%$ (D.6.61)

となる.ここで, $ m_{\rm n}\simeq m_{\rm p}$ , $ n_{\rm n}/n_{\rm p}
\simeq 1/7$ を用いた.

$ {}^4{\rm He}$ 以外の元素は微量で,その存在比は$ 10^{-5}$ 以下であるが, その量は光子に対するバリオン量 $ \eta = n_{\rm b}/n_{\gamma}$ に依存する. いまのエネルギースケールでは全バリオン数が保存することからバリオン数密 度は温度の3乗に比例し,また,光子数も温度の3乗に比例することから,この バリオン量$ \eta$ は時間的に一定であり,現在のバリオン成分の密度パラメー タ $ {\mit\Omega}_{\rm b0}$ とは

$\displaystyle \eta = \frac{n_{\rm b}}{n_\gamma} = \frac{\pi^2 \hbar^3 c \rho_{\...
...T_0}^3} {\mit\Omega}_{\rm b0} = 2.734 \times 10^{-8} {\mit\Omega}_{\rm b0} h^2$ (D.6.62)

という関係にある.したがって,原始的に合成された軽元素の存在量を観測で きれば,これは宇宙のバリオン量を知ることができることになるのである.数 値計算の結果を図に示す.バリオン量が変化することによるこのふるまいは定 性的には次のように理解できる.バリオン量が増えると,反応率が上がるため, 中性子の$ \beta$ 崩壊があまり進まないうちに元素合成が始まることになり, わずかに最終生成物である$ {}^4$ Heは増えることになる.また,反応率の増加 は,中間生成物であるd, $ {}^3$ H, $ {}^3$ Heを減らすことになる.Liは単純に 減少しないが,これは反応 $ {}^7{\rm Li} + {\rm p} \rightarrow 2 {}^4{\rm
He}$ の反応率が上がることにより$ {}^7$ Li が減少する効果と,また,反応率 が上がり$ {}^7$ Beの生成が増え,これが反応 $ {}^7{\rm Be} + {\rm e}^-
\rightarrow {}^7{\rm Li} + \nu_{\rm e}$ を通じて$ {}^7$ Liを増加させる効 果が競合していることによる.

現在ではこうした微量の原始軽元素の存在量を観測できることができる.その 誤差は小さくはないが,その値はまさに理論的に得られたものと一致している. このようにビッグバンモデルによって予言される元素の存在量が実際の観測と 一致したことはビッグバン理論を裏付ける大きな根拠の一つとなっている.ビッ グバンを持たない宇宙モデルの大半はこのような元素合成において観測を再現 することができないため捨て去られてしまうのである.また,重水素量は比較 的正確に求められていて,質量比で $ 2\times 10^{-5}$ ほどになる.これによっ てバリオンの量を見積もれば, $ \eta \simeq 2\times 10^{-5}$ となる. として, $ {\mit\Omega}_{\rm b0} h^2 = 0.019 \pm 0.002$ という値が得 られている.

ビッグバンにおける元素合成では重元素は生成されないので,このことは,は じめビッグバンモデルの失敗であると考えられたこともあった.だが,現在で は,次にみるような宇宙背景放射の観測など,ビッグバン以外には考えられな いような証拠が積み重なっている.現在では,重元素はその後の宇宙の進化の なかで,星の内部で生成されることが明らかになっている.

ちなみに,ビッグバンによる元素合成では水素とヘリウムが適度に混ざってい るようになっているが,なぜ水素のみ,あるいはヘリウムのみとならなかった のかということは面白い問題である.これはもともと中性子 - 陽子比が0でも $ 1/2$ でもない絶妙な値を取っていたことによる.これが可能だったのは式 (4.5.59) からわかるように,偶然にも中性子と陽子の質量の差が反応 の切れる温度に近いことによる.そもそもこの2つの温度が近い必然性はない のだが,もしこれらが大きく異なっていたら宇宙は中性子 - 陽子比は0か $ 1/2$ のどちらかになってしまい,その後できる元素がほとんど水素のみかヘ リウムのみかどちらかになる.ほとんどヘリウムのみとなれば,我々の宇宙に 水をはじめとして,生命に必要な物質がなくなってしまうので我々人間も存在 し得なかったであろう.ほとんど水素となるようなパラメータを取っていた場 合はその後星の内部でヘリウムを含む重元素が生成されるので一見よさそうだ が,そのようなパラメータでは,超新星爆発を起こして内部でできた重元素を 宇宙にまき散らすことが難しいといわれている.したがって,その場合にも我々 人間は存在し得なかったであろう.さらに,炭素など,生命にとって本質的な 元素の合成が星の内部でできるためには,物理パラメータが微妙な範囲にある ことが必要であることが明らかになっている.宇宙論を考えるとき,このよう に物理定数がなぜか人間の存在を許すものであるように微調整されているよう に見えることが大変多い.非常に不思議なことである.


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