上のようにしてできた陽子と中性子を材料として,その後の核反応により元素 が作られることになる.この過程は原子核反応の反応率を与えれば調べること ができる.原子核反応は強い相互作用の非摂動的な過程であるため,これを第 一原理から計算することは現在のところほとんど不可能である.そこで,原子 核反応の反応率を実験データによって与えることにより,元素の合成を調べる ことになる.その計算はさまざまな原子核反応のネットワークを数値計算する ことにより行われる.
その結果,まず自由な陽子と中性子が結合して,重水素 が作ら れる:
以外の元素は微量で,その存在比は 以下であるが, その量は光子に対するバリオン量 に依存する. いまのエネルギースケールでは全バリオン数が保存することからバリオン数密 度は温度の3乗に比例し,また,光子数も温度の3乗に比例することから,この バリオン量 は時間的に一定であり,現在のバリオン成分の密度パラメー タ とは
現在ではこうした微量の原始軽元素の存在量を観測できることができる.その 誤差は小さくはないが,その値はまさに理論的に得られたものと一致している. このようにビッグバンモデルによって予言される元素の存在量が実際の観測と 一致したことはビッグバン理論を裏付ける大きな根拠の一つとなっている.ビッ グバンを持たない宇宙モデルの大半はこのような元素合成において観測を再現 することができないため捨て去られてしまうのである.また,重水素量は比較 的正確に求められていて,質量比で ほどになる.これによっ てバリオンの量を見積もれば, となる. として, という値が得 られている.
ビッグバンにおける元素合成では重元素は生成されないので,このことは,は じめビッグバンモデルの失敗であると考えられたこともあった.だが,現在で は,次にみるような宇宙背景放射の観測など,ビッグバン以外には考えられな いような証拠が積み重なっている.現在では,重元素はその後の宇宙の進化の なかで,星の内部で生成されることが明らかになっている.
ちなみに,ビッグバンによる元素合成では水素とヘリウムが適度に混ざってい るようになっているが,なぜ水素のみ,あるいはヘリウムのみとならなかった のかということは面白い問題である.これはもともと中性子 - 陽子比が0でも でもない絶妙な値を取っていたことによる.これが可能だったのは式 (4.5.59) からわかるように,偶然にも中性子と陽子の質量の差が反応 の切れる温度に近いことによる.そもそもこの2つの温度が近い必然性はない のだが,もしこれらが大きく異なっていたら宇宙は中性子 - 陽子比は0か のどちらかになってしまい,その後できる元素がほとんど水素のみかヘ リウムのみかどちらかになる.ほとんどヘリウムのみとなれば,我々の宇宙に 水をはじめとして,生命に必要な物質がなくなってしまうので我々人間も存在 し得なかったであろう.ほとんど水素となるようなパラメータを取っていた場 合はその後星の内部でヘリウムを含む重元素が生成されるので一見よさそうだ が,そのようなパラメータでは,超新星爆発を起こして内部でできた重元素を 宇宙にまき散らすことが難しいといわれている.したがって,その場合にも我々 人間は存在し得なかったであろう.さらに,炭素など,生命にとって本質的な 元素の合成が星の内部でできるためには,物理パラメータが微妙な範囲にある ことが必要であることが明らかになっている.宇宙論を考えるとき,このよう に物理定数がなぜか人間の存在を許すものであるように微調整されているよう に見えることが大変多い.非常に不思議なことである.