next up previous contents index
次へ: 標準モデルの問題点 上へ: 極初期宇宙 前へ: 極初期宇宙   目次   索引

バリオン数の起源

前章でみたように,宇宙全体でのバリオン数と光子数の比は

$\displaystyle \eta = \frac{n_{\rm b}}{n_\gamma} = 2.7 \times 10^{-8} {\mit\Omega}_{\rm b} h^2$ (E.1.1)

であり,$ 10^{-9}$ のオーダーの値を持つ.だが,この宇宙がもし物質と反物 質について対称であれば,同じ量の反バリオンがあるはずである.その場合, バリオンと反バリオンが平衡状態を脱したときに粒子数が凍結して,対消滅し きれずに残ったバリオンが上の値になるということになる.だが,そのような バリオンの量を前章のようにして見積もってみても,光子数との比にして $ 10^{-18}$ のオーダーにしかならず,上の値より9桁も小さい.

さらに,バリオンと同量の反バリオンが我々の宇宙にあるという証拠は全く見 当たらない.地球に降ってくる宇宙線を調べるとほとんどすべて物質でできて いる.極めてわずか反物質も含まれるが,これは途中の星間物質との相互作用 でできる分であり,もともとあった反バリオンではないと考えられる.また, もし,銀河団スケールでは物質と反物質が同じオーダー存在するとすると,銀 河間ガスの間で物質と反物質の対消滅が起こり,強いγ線の放射があるはずだ が,そのようなものは観測されていない.銀河団よりも大きいスケールでバリ オンと反バリオンが分離するようなメカニズムがあるとするのも極めて不自然 なことである.

したがって,我々の宇宙がもし物質と反物質について対称であれば,すでに対 消滅して光子になってしまっているはずであり,我々は存在し得ないことになっ てしまう.こうして,我々の宇宙では物質の存在そのものが物質と反物質につ いて非対称なものであると考えられる.宇宙の初期にはバリオンも相対論的で $ n_{\rm b} \sim n_\gamma$ であることから,バリオン数について式 (5.1.1)を実現するには,初期に

$\displaystyle \frac{n_{\rm b} - n_{\rm\bar{b}}}{n_{\rm b}} \sim 10^{-9}$ (E.1.2)

のようなバリオン非対称性が実現されていたことになる.このような非対称性 はどこから来たのであろうか? これを実現するために宇宙初期において満た すべき条件として,次のサハロフの条件(Sakharov conditions)という ものが考えられている.
A)
バリオン数を変化させる相互作用の存在
B)
CP不変性の破れ
C)
非熱平衡反応
宇宙ができるときにはバリオンと反バリオンは対称であったであろうから,そ の後の進化の過程で非対称性ができるとすれば,バリオン数が相互作用によっ て変化することは必ず必要であり,A)の条件がある.B)の条件におけるCP 不 変性とは粒子と反粒子を入れ換える変換(C変換)と,右巻き粒子と左巻き粒 子を入れ換える変換(P変換)を同時に行なうCP変換に対して物理法則が不変 であることである.CP不変が成り立ってしまうと,A)の相互作用でせっかくバ リオン数が変化しても,その反応をCP変換させた反応も同様の確率で起こるか ら,実質的なバリオン数は依然変化しないことになってしまう.さらに,いく ら相互作用が非対称であっても,熱平衡状態ではA)の反応の逆反応も同様に起 こって,せっかくできたバリオン数非対称性もかき消されてしまう.

サハロフがこれらの条件を提案したのは1967年であったが,その当時にはこれ らの条件を満たすようなうまい相互作用が現実の宇宙にあるかどうかは不明で あった.その後,素粒子理論では標準模型を拡張した大統一理論GUT (Grand Unified Theory)が提案されたが,これはまさしくバリオン数を変化 する相互作用を含み,かつ,CP不変性の破れた理論であった.素粒子の標準模 型は量子色力学と電弱理論を組み合わせたもので,ゲージ対称性 $ SU(3)_{\rm
C} \otimes SU(2)_{\rm L} \otimes U(1)_{\rm Y}$ を持っている.ここで, $ SU(3)_C$ は核子を構成するクォーク間に働く強い相互作用のもつゲージ対称 性である.また, $ SU(2)_L \otimes U(1)_Y$ は電弱理論の持つ対称性である が,この対称性は1 TeV程度以上の高いエネルギースケールで実現されている が,低エネルギースケールではこの対称性が破れて電磁力の持つゲージ対称性 $ U(1)_{\rm EM}$ のみが見えている.このような対称性の破れという概念は素 粒子理論では重要な概念となっている.この概念を拡張して,標準模型のゲー ジ対称性もより高エネルギーで成り立っていた対称性が破れることによって実 現されていると考えるのが,大統一理論の立場である.標準模型のゲージ群を 含むようなより大きなゲージ群として最もシンプルなものは$ SU(5)$ であるこ とが知られていて,これに基づく$ SU(5)$ GUTが有望なモデルとして調べられ てきた.

GUTの対称性が破れずに実現するスケールは$ 10^{15}$ GeVであり,GUTを直接 検証するにはこのようなエネルギースケールの加速器が必要である.実際には 地球上で実験できるエネルギースケールは1TeVがせいぜいで,全く及ばないの だが,大統一理論はバリオン数を破ることから,現在の標準模型の範囲内では 起こり得ない陽子崩壊を予言するのである.$ SU(5)$ GUTではその崩壊の半減 期が$ 10^{30}$ 年であって,一つの陽子が崩壊するのを待っていたら,現在の 宇宙年齢$ 10^{10}$ 年をはるかに越えてしまうので,一見不可能のようだが, 例えば,1000トンの水を集めて絶えず監視していれば,1年に50個の陽子が崩 壊するのを観測できるだろう.この方法によって陽子の崩壊を調べた結果, $ SU(5)$ GUTで予言される陽子崩壊は起こらないことがわかり,現在では単純 な$ SU(5)$ GUTは捨てられてしまっている.だが,より複雑なモデルを採用す れば陽子崩壊の頻度を減らすことができるので,観測できないほどまれにしか 陽子崩壊が起こらないならば,まだGUTの枠組自身にはまだ可能性は残ってい る.$ SO(10)$ GUT, SUSY (supersymmetric) GUT などなど,いくつもの可能性 があるが,これらを実験的に検証することは今のところできていない.

大統一理論が一意的でないので,ここではおおまかな一般論として,サハロフ の条件における A)の相互作用を媒介する粒子をX粒子としよう.その相 互作用の強さを表す無次元パラメータを $ \alpha_{\rm X}$ とし,X粒子の質量 を$ m_{\rm X}$ とする.この場合,X粒子が崩壊して非対称なバリオン数を生成 する.その崩壊率は場の理論によっておおまかに

$\displaystyle {\mit\Gamma}_{\rm X} \sim \frac{g \alpha_{\rm X} m_{\rm X} c^2}{\hbar}$ (E.1.3)

である.ここで,$ g$ は崩壊チャネル数であり,ほぼ崩壊できる粒子の数に対 応していて,100-200程度である.ここで,X粒子が生成されなくなる温度 $ T\sim m_{\rm X} c^2/k_{\rm B}$ において,X粒子は宇宙の進化の時間スケー ルよりも大きな寿命を持つ,すなわち, $ {\mit\Gamma}_{\rm X}/H <1$ となっていな ければならない.そうでなければすぐに崩壊することによって熱平衡によりせっ かく生成した非対称性がかき消されてしまう.したがって,

$\displaystyle \frac{{\mit\Gamma}_{\rm X}}{H} \sim \left( \frac{g {\alpha_{\rm X...
..._{\rm B}}^4 T^4} \right)^{1/2} \lower.5ex\hbox{$\; \buildrel < \over \sim \;$}1$ (E.1.4)

だから,

$\displaystyle m_{\rm X} \lower.5ex\hbox{$\; \buildrel > \over \sim \;$}g^{1/2} ...
...t{\frac{\hbar c}{G}} \alpha_{\rm X} \sim 10^{19} \alpha_{\rm X} {\rm GeV}/c^2$ (E.1.5)

となる必要がある.これを満たすGUTがあるならば,それはバリオンと反バリ オンの非対称性を説明できる可能性があるということになる.残念ながら,多 くのGUTについてこの条件が満たされることはないのが現状であり,実際のと ころ,物質の非対称性が本当にこのようなメカニズムで生成されたのかはいま のところ明らかではない.


next up previous contents index
次へ: 標準モデルの問題点 上へ: 極初期宇宙 前へ: 極初期宇宙   目次   索引

All rights reserved © T.Matsubara 2004-2010
visitors, pageviews since 2007.5.11