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人間原理について

この宇宙の物理定数や物理法則などが、なぜ観測されるような値や法則になっ ているのか? この疑問に対して、人間原理の考え方では、もしそのような値 や法則でなかったら知的生命体が生まれないはずだから、そのような宇宙があっ たとしても観測するものがおらず、そのような疑問を抱くものがいないであろ う、という主張をする。

この主張自体はあたりまえのことである。知的生命体のない宇宙には観測する ものがいない。したがって宇宙の定数などについて思いを巡らせることはあり えない。この人間原理を科学の土俵に乗せて議論しようとすると、批判される ことが多いであろう。

人間原理に対する批判は、それが本当に冒頭の疑問の説明になっているかどう かにある。冒頭の疑問、すなわち物理定数、法則の規定の由来、に人間原理が 説明を与えるとするなら、それ以外の物理定数、法則を持つ宇宙には知的生命 体が生まれないことが必要である。あるいは、ごくかぎられた定数、法則の宇 宙にのみ生命体が生まれることが必要である。ほとんど任意の定数、法則の宇 宙に知的生命体が生まれるとするなら、人間原理は説明になっていない。しか し、われわれの宇宙にのみ唯一生命体があるかどうかはわからないが、任意に 取った定数、法則の宇宙では生命体が生まれる確率は極めて低いものであると 思われる。知的生命体が生まれる宇宙はごくごくかぎられたものだというのは 自然な考え方であろう。

しかし、われわれはほかの物理定数や法則を持つ宇宙へいっていろいろと実験 できるわけではないし、知的生命体とは何かという定義も定まらない状況では あらゆる宇宙に知的生命が誕生できるかどうかを明らかにすることはできない。 したがって、人間原理は極めて自然な考え方であるとは思うが、証明はできな い。したがって、実験などによって決着をつけられない主張なので、科学の伝 統的な姿勢、「実験、観測によって正しい理論を選択する」、という姿勢を保 つことができない。なお悪いことに人間原理は予言能力がない。この意味では 人間原理を伝統的な科学の理論として受け止めることはできない。

しかし、それは人間原理そのものを受け入れる、受け入れないということとは 別の問題である。証明できない命題には正しい、間違っているということはな い。ただそこに証明できない命題が「ある」だけである。そう思ってみれば、 人間原理は科学を進める上での指針のようなものと受け止めるのが自然であろ う。人間原理は物理定数や法則について積極的な解決をしていない。しかし、 この考え方に従うと、積極的な解決はできないと主張しているのである。どの ような問題が積極的に解決でき、どのような問題ができないかを見極めるのは 科学の研究を進める上で重要なことである。

物理学理論の究極的な考え方の一つに、この世には「すべての理論」というも のがあって、その理論によればあらゆる物理定数や、物理法則までもわれわれ の宇宙におけるものに一意的に定まってしまうのだ、というおめでたい考え方 がある。このような考え方は基礎理論を研究する物理学者には究極の夢として これからも存在しつづけるであろう。これは人間原理と対極をなす考え方であ る。人間原理とは、このような、「考え方」のひとつなのである。

人間原理を用いた議論は、実験、観測結果を説明しているのではなくて、単に ひとつの考え方を用いて解釈しているのである。物理定数、法則は科学理論を 使って説明することが必ずしもできるわけではないのであると表明しているの である。人間はすべての疑問に答えられるというわけではないということを表 明しているのである。


Takahiko Matsubara
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