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私が宇宙物理学を研究するわけ

初めて会う人に、「宇宙物理学を理論的に研究しています」と言うと、たいが いの人は絶句するか、あるいは、「宇宙」という言葉から連想して、スペース シャトルの質問をされたり、「あなたもいつか宇宙へいくんですか?」「宇宙 人はいるんですか?」、あるいは「お星様のご研究ですか?」などの反応をさ れることが多い。まともな反応であろう(最後の質問はかなり近いところをつ いてはいるが、やはり少し違う)。アメリカ人の場合は「NASAに関係してるん ですか?」という人も多いが、関係してないこともないのでそう言うと、ずい ぶん満足げである。何か、宇宙物理学という響きがあまりになじみがないので、 なんとか連想できるものを探しているようで、かえって気の毒である。

「宇宙」についてはまだ夜空を眺めれば見えるので、まだなじみ深いところも あるだろう。問題は「物理」である。ここで思考がストップするのがまともな 人間というものであるのかもしれない。「物理」、それは普通の人であれば避 けて通りたい分野であろう。物理学を知らなくても生活に重大な支障が起こる ことはない。しかも、それを理解しようとすると、ややこしい数式を勉強しな ければならない。数式を覚えるだけで理解できるならまだいいが、やたらと奇 妙な概念が持ち出されてくる。一応いまでは物理学者の端くれである私も、分 野が異なると言葉が通じないことがある(勉強不足ではある)。モチベーショ ンがなければ勉強したくない分野であろう。 それにもかかわらず、物理は面白いのだが、この面白さを言葉で説明するのは 難しい。それに私は表現力が豊かではないので、なぜ私がこれを面白いと思っ ているのかを一言で説明するのに窮してしまう。そこで、宇宙物理学について 私に質問した人は、なぜそんなわけのわからないことを研究しているのだろう か、という疑問だけを感じているのではないかと危惧している。そのようなこ とをあえて知りたいと思う人が多いとは思えないが、このページでは、私がな ぜ宇宙物理学を研究しているのかを書くことにする。

おそらく、私がはじめて物理学に興味を持ったのは父の影響であろう。それは、 はっきりした記憶にではないが、小学生の頃である。さらに、小学校の卒業文 集の、自分の夢のところに、自分でも笑えるのだが、「物理学者になって、こ の世の中の疑問をすべて解決する」、と書いてあるのである。ただし、この夢 は第二志望ということになっていて、第一志望は飛行機のパイロットになりた い、と書いてあるので、いちおう私も小学生らしいところはあったのである。 この、物理学者になりたい、という夢は、おそらく、父にいろいろと吹き込ま れたのが大きいであろう(と信じている)。父は工学研究者であり、少なから ぬ工学者がそうであるように、理論物理学に興味をもっていた。そこで、電気・ 磁気をはじめとして、いろいろな自然現象がどういう原理で起こるのか、とい うことに興味を引き付けられるようになったと思われる。特に、父の買ってき てくれた「なぜだろう、なぜかしら」という、自然現象についての疑問を子供 向けに説明する本を熟読した覚えがある。子ども心に、そこに書いてある説明 がさらに疑問を呼び、これはいったいどういうことだろう、と、自ら考えてい た記憶がある。そのせいか、身の回りにはわからないことがあふれかえってい ることに気がつき、どんなことにも理由があるはずだと思って、どうにか、す べてのことをわかりたい、と思っていたようである。それは、そう考えると、 小学生らしい、無邪気な夢でもあったであろう。だがやはり、パイロットにな りたいという夢は中学の2年に、近視になったときまで持ち続けていた。近視 になったことが分かったときは、かなりショックだった記憶がある。近視にな らなかったらパイロットになっていたか、やはり物理学を志したかはわからな いが、ともかく、それ以来、将来は物理学者になる、ということ以外自分の将 来像はなかった。だが、中学生では物理学がどういうものかとはまだ分からな いので、具体的にどのようにするかはわかっていなかったが、研究をすること が、職業として成り立つことはすばらしいことであると感じていた。

高校に物理という教科があるが、正直なところ、あまり魅力的な科目ではなかっ た。中学生のころから科学啓蒙書を読んでいたのだが、そこには量子力学や相 対性理論の奇妙な世界が説明してあった。もちろんその理論の理解はできなかっ たので、ひたすら疑問だけを持っていたのである。これを理解するには物理を 学ばなければならないということが分かっていたが、高校の物理は、そのよう なものとはかけ離れていたのである。とはいえ、はじめはこのようなことから 勉強していかなければ、その先の世界には進めないのだ、という強力なモチベー ションによって、何とか勉強していた。めったになかったが、先生が教科書を 逸脱したレベルの話をすることがあったときだけ、ずいぶん興味深かった記憶 がある。ともかく、この世の中の成り立ちを知るには大学で物理学を勉強して、 その後大学で研究をすることが一番の近道であるということがわかってきた。

そういうわけで、大学は理学部へ入った。そこで思い切り勉強する予定であっ たが、そうでもなかった。元来あまり勉強ずきではないのである。これは今で もわたしの大きな欠点であるが、しかたがない。まあ、程々の成績であった。 さて、物理学にもいろいろな分野がある。学部も後半になると、どの研究室へ 進むのかという問題がおきてくる。これはほとんど自明に思われた。なぜなら、 物理の究極の基本法則は、素粒子の運動法則である、と思われるからである。 したがって、これを理論的に研究している素粒子論研究室こそ、進むべき研究 室であった。そこで、(学部の卒業研究に相当する)課題研究には、素粒子論 を選んだ。

ただ、いろいろと見聞きしているうちに、素粒子論だけではなく、宇宙論とい うものも、私の研究動機である「世の中の疑問をすべて解決する」ということ に近いということが分かってきた。もっとも、この頃は、そのような無邪気な 目標は到底達成できないことは分かっていたが、それにできるだけ近づきたい とは思っていた。これは今でもそう思っているのであるが(あまり強く思いす ぎると、マッドサイエンティストになってしまうが)。それはともかく、その ころは新しく「宇宙論」という分野がだんだんと大きく活性化してきたころで あった。そのような迷いがあったのだが、大学院へ進むときに素粒子論へ行く か宇宙論へ行くか決めなければならない。これは究極の選択に思えた。なぜな らこの選択はあとでとり返しがつかないように思えたからである。ただ、幸運 なことであろうか、入学後に素粒子論でも、宇宙論でも好きな方を研究できる 研究所の大学院へ入学した。

大学院では、教科を勉強することから開放されて、研究を始めるのであるが、 自分の興味に応じた研究をする、ということはまさに、子どもの頃想像してい た科学の研究そのものであった。そのための勉強も自由意思で行う分にはまこ とに楽しいものであることを再発見した。特に研究らしきものを始めてからは、 回りから見ると異常なほど集中して勉強していたらしいが、自分では好きなこ とをしているだけであった。とはいえ、実際には楽しいことばかりではなく、 行き詰まってつらいこともあるのは誤算であるが、つらいことのない職業など なかろう。それなりのことはあるのであるが、それもまた逆に楽しみにつながっ ているのであろう。

修士課程の2年になると、修士論文のテーマを決めなければならないため、今 度は本当に素粒子か宇宙論のどちらかを選ぶしかなかった。指導教官を決めな ければならないからである。このように、ぎりぎりまで指導教官が決まってな いということは他の大学院ではありえないことであり、この大学院のきわめて 柔軟なところである。いや、指導教官は形式的には決まっているのだが、それ はまったく形式的なものであり、実質的な指導教官を選ぶのである。そこで、 宇宙論にも未練を残しつつ、結局素粒子論の指導教官を得た。そこで量子重力 というテーマを得た。これは、物理学の難問中の難問であるのだが、特定のテー マにしぼれば研究テーマは結構あるのである。ただそれが本当の解決に向かっ ているのかは定かではないのだが。

修士課程の間に素粒子理論の研究を見聞きして分かったことは、この研究分野 は実験による検証が不可能なくらいに進歩してしまっていて、あとは理論的推 論が頼りの世界であるということである。それはそれで研究スタイルとしては 一つの形ではあるが、実験による裏付けの得られない理論というのは、物理と いえないのではないだろうか、それは、数学なのではないか、という疑問が自 分の中でかなり大きくなってきた。事実、現在素粒子理論でもてはやされてい る理論は、ほとんど、数理物理と呼ばれる分野である。これは実際の世界を記 述するかどうかにとらわれず、純粋な理論的興味による動機が大きい分野であ る。加速器を使った素粒子実験が、加速器の巨大化の限界に突き当たって、そ れ以上高エネルギーにおける新しい現象を見つけられない上に、いままでのす べての実験結果がいまの標準理論により理解できてしまっていたのである。実 験により見つかった未知の現象を新しい理論により説明するという刺激的なプ ロセスはほとんど終わってしまっていた。さらにこの頃、アメリカの超巨大加 速器計画であるSSCが、建設途上にあったにもかかわらず中止となってしまい、 素粒子論研究の行く末に暗雲が立ち込めたような雰囲気になった。その後素粒 子理論の研究はますます数学化していくことになる。

それでも、数学的な論理の積み重ねや数学的理論の構築そのものに興味があれ ばいいであろうが、私は少なくともそうではなかった。実験・観測による検証 から遠ざかってしまった理論には興味が持てなくなってしまった。そこで、宇 宙論へ目を転じてみると、新しい観測結果が続々と報告されている状況であり、 それらの理論的説明はとても確固としているものではなく、非常にエキサイティ ングに見えた。有名な衛星COBEによる宇宙背景輻射のゆらぎが観測されたのも この頃である。まさに、未知の現象を説明する確固とした理論を作りだそうと している段階である。その段階で未知の物理法則が発見される可能性も秘めて いる。それで、修士論文が終わって、博士課程に進んでから、しばらくして決 心し、宇宙論に専攻を変えることにした。修士2年以来の事実上の指導教官の もとからは突然去ってしまって悪いことをしたが、意思を尊重してくれた。修 士課程で受けた指導は、研究に対する姿勢という面でその後の研究に多いに影 響を受けるところが大きく、この経験がなければ研究者になれなかったかもし れないと思う。また、分野を転向することで、初めから宇宙論をやっている人 と同じことをしていてもだめだという意識も強かった。

最後に少々迷ったが、こうして宇宙物理学に到達した。その後は研究分野につ いては現在に至っているのである。つまり、こうしてみると、小学生の卒業文 集の文以上の動機はないのであった。あとはそれに向かって進む過程がそのま ま続いているようである。

宇宙論の中でも、とくになぜ大規模構造について研究しているのかは、また別 の機会に書きたい。

1998年11月24日 (2004/11/2すこし加筆)


Takahiko Matsubara
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