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宇宙論パラメータ

最近の宇宙論の研究は観測の進歩によって急激な展開を見せている。2003 年初頭、WMAPによる宇宙背景放射の観測結果が発表され、これと大規模構造な どのデータと合わせることにより、宇宙の構成成分を数%の精度で見積もるこ とが可能になった。宇宙の構成成分はこれまで宇宙論の研究の上で基本的なパ ラメータ量であるにも関わらず不定性の大きいものであった。そのため、これ らは宇宙論パラメータと呼ばれ、これらのパラメータを決定するため精力的な 努力が払われて来た。観測が進むとそれだけ宇宙論パラメータの決定精度が向 上する。そこで新たな観測が行われると、宇宙論パラメータの決定がどれだけ 進んだのかということが進歩の指標とされてきた。このために、観測的宇宙論 の目的は宇宙論パラメータを決定することであるかのように誤解されることも あるようだが、これは大きな誤りである。

宇宙論パラメータの精度よい決定が可能になってきたことは宇宙論の研究 が定量科学として整って来たことを意味する。宇宙論パラメータの決定により 明らかになって来たことは、宇宙の成分は我々がよく知っている原子などの物 質のみでは宇宙の振舞いが全く説明できないということである。現在、この宇 宙の振舞いを説明するために最も単純だと考えられている説明では宇宙の構成 成分の大部分がダークマターとダークエネルギーであると仮定される。この仮 定のもと、これらダーク成分の成分量をパラメータとして観測にフィッティン グすることにより、宇宙論パラメータが決まってくる。

だからといって、いくらパラメータの値が精度よく決まってもこれらダー ク成分の実態を理解したことにはならない。なにかものの性質を調べようとい うときに、重さが数パーセントの精度で決定したところで、そのものを理解し たことにはならないのと同じである。ものの実態を調べるとき、重さの他に形、 色、材質から始まって、密度、硬度、比熱、熱伝導度、電気抵抗、透明度、弾 性係数、などなど実にさまざまな性質を調べてようやくその性質がわかってく る。

宇宙の成分を地球の表面に例えてみよう。人間が住んでいる居住部を原子 などの我々がよく知っている物質に対応させるとすると、居住部以外の極地、 山岳地帯砂漠など人間のアクセスの難しい陸地をダークマター、さらに海をダー クエネルギーに対応させることができる(この対応は量的なバランスも大まか に合っている)。宇宙論パラメータが精度よく決定されたということは、居住 部の面積、陸地の面積および海の面積が精度よく決定されたというようなもの である。いくら面積を正確に測ったところで、その実態を理解したなどとはと てもいえない。陸地の実態を理解するには、温度や気候の季節変化の測定、そ の生態系の観察、地質学的調査、そのほかありとあらゆる手段を講じて情報を 集める必要がある。さらに海を調べるとなれば、表面に見えている海面だけが 海ではなく、その下に全く違う世界が広がっている。

宇宙論の現在の状況は、人間が住んでいる居住部の環境を説明するのに、 居住部以外の存在、つまり、広大な陸地や海の存在を仮定しなければ説明でき ないということがわかり、間接的に陸地と海面の面積を見積もることができた という状況に似ている。まだ仮説の域は出ないが、複数の独立な観測によって 面積を見積もっても同じ値を得るのならばその存在は確からしいであろう。存 在がわかったら次はその実態を少しでも明らかにしていくことが必要である。 なかなか観測は難しいとしても、未知の世界がすぐそばにあることがわかった のだからそれを明らかにするべくありとあらゆる可能性を探るのが一番の近道 である。

宇宙論パラメータが決まって来たことにより、これ以上細かな観測をして もパラメータの精度を何桁も上げていくだけで、本質的に面白いことは何もな いのではないか、という疑問をさしはさむ向きもあるが、この意見は観測的宇 宙論の目的を履き違えている。これまで宇宙論は定量科学としてはかなりいい かげんであったため、宇宙論の分野では精密測定の重要性が十分に認識されて いない場合がある。物理量の精密測定はしばしば世界観を変える発見をもたら して来た。天動説は昔は天体の運動を説明する簡単な理論であったが、惑星の 運動を詳しく調べるにつれ、だんだんと綻びが出てきたことにより地動説に取っ て代わられたのである。ここでも、大まかな天体の運動の説明で満足していた なら、地動説など持ち出す必要はなかった。さらに二十世紀初頭までは、この 世界の現象はすべて力学と電磁気学により説明されると考えられていたが、物 理量の精密測定の技術の進歩により、少しずつほころびが見えはじめ、最終的 には量子力学や相対性理論という、それまでの世界観を覆す大パラダイムシフ トを引き起こしたのである。ここでも精密測定による実験結果がなければ相対 性理論の必然性は証明されなかったし、量子論に到っては思い付くことすらで きなかったのである。

このように、ある理論が現象の大まかな性質を説明したからといって、そ の先に面白いことはなにもないなどと考えることが大きな誤りであることは歴 史が証明している。ましてや、宇宙論においては、全く見たこともないダーク 成分を仮定することにより宇宙の振舞いを説明しているのであるから、それで 満足している場合ではない。その詳しい性質を調べるためには、でき得る限り の精密測定を行うことが絶対条件である。さきほどの地球表面との対比で言え ば、例えばダークエネルギーについては、やっと海を間接的に発見し、面積の 見積もりができたというだけである。直接海に潜って調査をする手段をいまは 持ち合わせていないものの、海面を詳しく調べることはできる。アメリカの衛 星GEOSATは海面の高さの非常な精密測定により、海面の凹凸から微弱な重力場 の変化を検出して海底の地形の様子を描き出した。直接潜る手段がなかったと しても手持ちの技術を極限まで用いて精密測定することによって本質的な進歩 をもたらす。ダークエネルギーのような未知の対象に関しては、ありとあらゆ る手段を使った精密測定が思わぬ発見につながる可能性は極めて高いだろう。

ダークマターにせよ、ダークエネルギーにせよ、これら宇宙の未知のダー ク成分は、我々に見える物質への重力的な影響を調べることによって検出され たものである。現在のところ、重力以外の相互作用をするという実験的な兆候 は微塵もない。この意味では、まだこれらの成分は宇宙の振舞いを説明するた めに御都合主義的に導入された自由度である。とくにダークエネルギーに関し てはそのような印象が強い。これは天動説における周転円のようなものである。 天動説は星の動きを説明するだけであれば極めてシンプルな理論であるが、惑 星の動きの説明に必要な周転円が人工的なものであることはプトレマイオスも 認識していたのではないだろうか。いうまでもなく、精密な測定をすればする ほど周転円のメカニズムは複雑化していく。現代の宇宙論において、ダーク成 分としてはじめはダークマターを導入するだけで全てを説明しようとしたが、 結局それだけでは足らずにダークエネルギーが導入された。今後さらに精密に 測定していけばさらに他にも新たなダーク成分を仮定しなければならなくなる かも知れない。しかし、そのように理論が醜くなることはよいことである。そ れは、宇宙の見方に大きなパラダイムシフトを引き起こす起爆剤となるのだか ら。

2004年4月5日


Takahiko Matsubara
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