広島県竹原市にあった、いまはなき広島大学理論物理学研究所。通称を理論研 といった。広島市から電車に揺られて数時間もかかる環境の良い(辺鄙な)地 にあって、錚々たるメンバーにより素粒子論、相対論、宇宙論などの浮世離れ した純理論的研究が行われるというユニークな研究所だった。私はこの研究所 所属の最後の大学院生である。私が入学した直後の平成2年7月、理論研は京 都大学基礎物理学研究所(基研)と合併して広島から移転してしまった。合併と はいっても実際のところは基研の一部にのみこまれたも同然であり、事実上、 理論研は消滅してしまった。
理論研の大学院出身者は、研究者として生き残っている割合がとても高い。通 常理論物理学の分野で大学院生が研究者として生き残る割合は数パーセント程 度以下といわれるが、下にあげてある冨田先生の理論研 OG/OB名簿 を見ると、通常考えられないほどのアカデミックポストへの就 職率である。とくに最後の10年ほどの宇宙論、相対論関係の大学院出身者は研 究者として生き残っている人の方が多いくらいである。その結果、とくに相対 論、宇宙論の分野では、ポストの数そのものが少ないこともあり、日本のアカ デミックポストのうちかなりの割合が理論研出身者で占められている。私の現 在勤めている名古屋大学においては、相対論と宇宙論の分野の理論物理スタッ フのほとんどが理論研で博士号を取っているのである(別に理論研閥があるわ けではなく、まったく結果的に、である)。
理論研出身者の活躍の理由としては、研究環境が大きな要因のひとつであった ように思える。大学院生に指導教官はいちおう割り当てられてはいるが、それ とはまったく関係なく各自勝手に研究をしていた。大学院生の間だけで研究す るスタイルが主で、おおむねスタッフによる研究指導はあってなきが如しとい う雰囲気もあった(私自身はどちらかといえば比較的丁寧な指導を受けたが、 形式上の指導教官にではなかったし、そのときは理論研ではなく、基研になっ てしまっていた)。理論物理学の専門家がごろごろといる中で、大学院生はと きに興味の近いスタッフ(ほとんどの場合指導教官ではない) と共同研究し、 ときに大学院生だけで研究し、ときに一人で研究し、または他大学の研究者と 研究し、さらには、素粒子論を研究しているかと思えば相対論を研究し、と興 味のおもむくまま理論物理学の研究に邁進していたのである。新しく入ってき た大学院生はなにをやろうがまったくの自由で、素粒子論でも相対論でも宇宙 論でも、あるいは量子論基礎論だろうが自分の独自の理論を建設しようがなん だろうが、結果に責任を持てるならばなんでも好きなことができたし、そのた めの環境が整っていた。私もこのメリットを最大限に使い、素粒子論と宇宙論 のどちらをやるか最後まで決めなかった。また、この研究所の先輩大学院生か ら学ぶことは極めて多かった。理論研出身の諸先輩の活躍を見るにつけ、理論 研最後の大学院生として、この研究所を誇りに思っている。このような国内随 一の、いや世界的に見てもユニークな、研究所がなくなってしまったのはとて も残念なことである。
現在、インターネット上で得られる理論研の情報は冨田先生の 理論物理学研 究所についての記録 および、 基 研のホームページの中の説明がある。また、基研発行の素粒子論研究 に おいて公開されている 「基礎物理学研究所の歴史(ひろば)」 「基礎物理学研究所の歴史・補遺」という記事に理論研の詳しい記述が見 られる。物理学会誌45巻(1990)11号 「広島大学理論物理学研究所の46年」(藤川和男)、および、物理学会誌 68巻(2013)10号 「三村剛昂と広大理論物理学研究所(歴史の小径)」(小長谷大介)に理論研の歴史に関する記事がある。
部門名 | 研究目的 | 研究課題 |
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重力理論 | 主として相対論的方法及び素粒子論的方法により 重力の本質を明らかにする。 |
ブラックホールと重力波 重力場の量子化、超重力理論 |
場の理論 | 場の理論の立場から物質の本質を明らかにする。 |
相対論的場の量子論の基礎 ゲージ場の量子論 素粒子の模型 |
時間空間理論 | 物理学の立場から時間空間の本質を明らかにする。 |
場の量子化と時間空間 素粒子の基本的対称性 径路積分による量子化 |
宇宙論 | 宇宙及び諸天体の構造と進化を解明する。 |
宇宙の時空構造 宇宙初期の重力と物質 局所構造とその進化 相対論的宇宙物理学 |