1980年代、それまで大スケールで一様等方であると思われていた宇宙の中に、
100Mpcに匹敵する巨大スケールの構造があることが、CfAサーベイをはじめと
する観測によって次々と明らかになり、この事実は新鮮な驚きを持って迎えら
れた。それと同時に、そのような巨大構造を含む宇宙の大規模構造がどのよう
にして形成されたのかが理論的な課題となった。大規模構造の形成を説明する
自然なシナリオは、初期の微小ゆらぎが重力的に成長して現在の構造をつくる
という重力不安定性理論であった。この初期ゆらぎは、宇宙年齢約38万年の
宇宙から直接届く電磁波である宇宙の背景放射の中に、微小な温度ゆらぎとし
て観測されるはずであった。宇宙がバリオンでできている場合、そのゆらぎは
$10^{-3}$のオーダーのはずであるが、観測精度を十分増しても期待されるゆ
らぎは見つからない状況であった。これは宇宙がダークマターに支配されてい
る兆候と見られていたが、仮説の域を出ず、その場合でも背景放射にゆらぎが
全くないとすると矛盾する。1992年、実際にCOBE チームにより背景放射にゆ
らぎが観測されると、ダークマターの重力不安定性による構造形成理論の真実
味が大いに増していったのである。

このように、背景放射のゆらぎは宇宙の大規模構造と密接に関係している。背
景放射ゆらぎの中にはさまざまな宇宙の情報が織り込まれているが、根本的な
ゆらぎの原因は初期宇宙で生成された微小な密度ゆらぎにある。この初期の密
度ゆらぎは、その後粛々と進化して、現在の宇宙の大規模構造を導くことにな
る。宇宙の構造形成を宇宙の中の力学進化ととらえるとき、
背景放射のゆらぎは始状態に関する条件を与え、宇宙の大規模
構造は終状態に関する条件を与えることになる。だが、背景放射ゆらぎと大規
模構造で主に調べられるスケールはお互いに異なっていて、両者はお互いに相
補的な情報を持っている。さらに両者とも一次的な密度ゆらぎ以外の影響を含
んでいるので、宇宙に関する情報が複雑に織り込まれている。これら複雑に縺
れあった宇宙の情報を丁寧にほどいて宇宙の進化や宇宙そのものの実態を明ら
かにしていくのが大規模構造の理論的解析の目的であると言える。

その理論的解析の第一のステップは、仮定されている基本的宇宙モデルに含ま
れるパラメータを観測によって制限し、あらゆる観測が同じパラメータの値の
セットで矛盾なく説明できるかどうかを検討することである。矛盾が見つかれ
ばモデルそのものを再検討することになる。矛盾がなければ基本モデルは正し
いと考えられ、観測、理論双方とも次のステップの問題へ進むことが可能にな
る。宇宙論はこれまで、この第一のステップをクリアすることがままならず、
一様等方宇宙の基本的パラメータである密度パラメータ$\Omega_{\rm M0}$, 
真空エネルギーパラメータ$\Omega_{\Lambda 0}$, ハッブルパラメータ$h$が
精度よく決められない状況であった。この基本的ステップをクリアして初めて、
それらパラメータの実体であるダークマター、ダークエネルギー、また膨張宇
宙そのものの性質の研究を本格的に進めることができるようになると言える。

本年初頭、WMAP観測チームにより、ほぼ全天にわたる背景放射ゆらぎの詳
細な性質が初めて明らかにされた。同チームはその結果と大規模構造の観測デー
タをはじめとする他の宇宙論的データを組み合わせ、これまでにない精度で宇
宙論的パラメータを決定していったのである。まだ、基本宇宙モデルの無矛盾
性が示されたとまで言うのは時期尚早であると考えられるが、これまでよりも
飛躍的に精度よくパラメータを決められたということ自体大きな進歩であった。

本講演では、このような具体的なパラメータの決定に際して、背景放射ゆらぎ
と大規模構造の相補的役割について強調する。例えば、宇宙論パラメータのう
ち、背景放射ゆらぎによってよく決められるのは曲率パラメータ$\Omega_{\rm
K0} = \Omega_{\rm M0} + \Omega_{\Lambda 0} - 1$、バリオン密度
$\Omega_{\rm B0} h^2$,および物質密度$\Omega_{\rm M0}h^2$の3つの量で
ある。ここで、不定パラメータは$\Omega_{\rm M0}$, $\Omega_{\Lambda 0}$,
$\Omega_{\rm B0}$, $h$の4つなので、4次元パラメータ空間を制限しようと
しても1次元方向に縮退してしまうことがわかる。一方で大規模構造は
$\Omega_{\rm M0} h$という量を制限するため、この縮退が解ける。さらに背
景放射からはほとんど決まらないパラメータもまだある。

現在スローンデジタルスカイサーベイによる大規模構造の観測が進展しており、
今後数年でこれまでにない質の大規模構造のデータが得られてくる。さらに深
宇宙赤方偏移サーベイや弱重力レンズサーベイも計画されており、これらによっ
ていままでの大規模構造の観測では見えていなかった宇宙の側面も明らかになっ
ていくことが見込まれている。このプロセスで一様等方宇宙のパラメータが無
矛盾であるかどうかが示されると同時に、ダークマター、ダークエネルギーの
実体に迫る研究も可能となり、宇宙論の研究は次のステップへと歩みを進める
であろう。