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ノストラダムスの予言

1999年7月に恐怖の大王が降ってくるというノストラダムスの予言を心配をし ている人は少なくあるまい。ノストラダムスの予言はこれまでに何度となく当 たっているから、この予言により世界が滅びたらどうしよう、という心配をし てしまう。

だが、この予言が根拠のないものであることは明らかである。この数十年の間 にこの予言がこれほど有名になっているのは、生きているうちにその日が来る、 という興味深さを伴なって、ほとんどの人の興味を集める題材だからである。 そこでテレビ番組や出版物などはこの問題を扱うことでおおいに儲けることが できるわけである。それでますますこの予言は有名になり、多くの人の心配を 誘い、さらにその手のテレビ番組の放映や出版がなされる、というフィードバッ クシステムなのである。

このシステムではそれが真実であるかどうかは関係ない。ノストラダムスの予 言がそれほど当たるものなら、これまでに、事前に事件を当てていてもよさそ うなものであるが、ノストラダムスの予言は事件が起きた後に、「また当たっ ていた!」と宣伝されるのを常としている。これはもちろん、ノストラダムス の予言書が極めてあいまいに書かれているために事件が起きた後でしか書いて ある内容がわからないからである。したがって、それは予言などというしろも のではないのである。あまりに強引なこじつけで笑ってしまうものさえある (芸能ニュースも解釈次第ではノストラダムスの予言書に書かれているらしい)。 最近でも、恐怖の大王の正体は土星探査機カッシーニである、という、より具 体的な説が用いられたりして、その宣伝がなされている。危険性などは探そう と思えばいつもどこかにあるのである。たまたまその時期にある危険性を見つ けてノストラダムスと結び付ける人が出てくるのは当然の成り行きである。

とくに本を読まない人たちにまで重大な影響を与えるのが、テレビである。ノ ストラダムスの予言を扱った番組は明らかに視聴率を取れるので、資本主義原 理に従う以上くり返し企画されるのは避けがたいであろう。その結果、子ども の頃からくり返しそのたぐいの番組を見てきた我々は、いやでもその時になに が起こるのだろうか、死んでしまうのではないか、という余計な心配をしなけ ればならないことになるのである。不治の病などで医者から宣告されているの でないかぎり、自分がいつ死ぬのかを知っているといっている人は、妄想に取 り付かれているといえよう。

そのような妄想はしばしば現実化する。これは予言がそれ自身「自己成就性」 を持つ場合があるからである。つまり、この予言を多数の人が信じることによ り、それを実現させる力が働くのである。これは血液型占いなどで起きている と言われているが、一種の暗示効果である。

1999年7月に何も起こらないとは限らないが、それは、明日何も起こらないと は限らない、というのと同じことである。特にその時だけ心配することには意 味がないばかりか、危険でさえある。無駄な心配をするのが好きな人を除いて、 その心配のエネルギーは、もっと個人的な心配の解決など他のことに向けた方 がいいだろう。

世紀末になにか起こるのではないかと思うのは人情であろう。だが、それは大 多数の人たちにとって一生に一度しかない暦上の区切りであるから特別に見え るのであって、年末や月末、週末にいつも大事件が起こっているわけではない のである。

1998年12月27日


Takahiko Matsubara
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