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物理学における研究と美について

物質的世界の理解は物理学における研究の主目的であるが、何をもって物質的 世界を理解したと言えるのかは自明ではない。今世紀前半からの原子核理論や 素粒子理論の凄まじいまでの発展は、より基本的な法則の発見へと向かう還元 主義がすなわち物質的世界の理解そのものであるという考え方を一般的にした。 この考え方を突き詰めると、この世の中の現象をすべて統一的に説明しうる究 極の理論 ---Theory of Everything--- を見つけ出すことが物理学の主要な目 的であるようにも見えた。そのような究極の理論があるかどうかは未知である が、しかし、そのような理論が仮にあるとしても、その理論がなぜ成立してい るのかという疑問はその理論の枠内では解き得ない。一般にある疑問に答えれ ばそれは新たな疑問を呼び、いくら疑問をより基本的な説明により解決しても、 最終的に疑問がなくなるところまで物事を説明することはできないことは、ゲー デルの不完全性定理を持ち出すまでもなく明らかである。さらに、生命現象に 端的に表れているように、基本法則だけからはとてもおよびのつかない現象も 多く存在する。

いくら究極の法則を求めても常に解かれることのないより基本的な疑問が存在 する。どんな疑問についての説明も、他の既知と思われる事実にその疑問を転 嫁しているだけであり、その連鎖はどこまでも続いてしまう。疑問がなくなる ことが理解であるとすると、永遠に本当の理解は得られないことになってしま い、意味がない。では通常の意味での理解とは何かというと、実はその疑問の 転嫁の過程そのものである。理解とは、一見無関係と思われる事象の間に、関 係を見出すことである。あるいは、事象の間に意味を見出すことである。ある 物事がおこる原因がわかれば、同じ原因によりおこるほかの物事との関係が統 一的に理解できることになるのである。すなわち、物質的世界の理解とはこの 世の中の一見無関係な複雑かつ膨大なさまざまな事象の間に見出された統一的 描像であり、それはすなわち、自然の中に織り込まれた調和である。この調和 を見出すことこそ、物質的世界の理解であり、物理学の主目的である。

一般相対性理論やゲージ場の量子論に代表されるように、自然の中に織り込ま れた調和を根底に持つ理論は流麗な美しさを持っている。しかし、それは人間 が考える以上、完全な美ではないが、それは同時に、さらに深い調和が見出さ れる可能性を示唆しており、いくら理論が進んでも常にまだ見出されていない 調和は残されるのである。この美の追求には、決して終わりはない。それは還 元主義である必要はないし、究極の法則を見出すことによって終わってしまう 閉じた世界なのでもない。より高度な調和と美の実現された理論へ進んでいく 永遠の追求なのである。それは紛れもない物理現象により裏付けられるもので あり、幻想の世界ではない、この世界に実現された真の美の発見の過程といっ てよい。物理学者はこの世界の複雑な振る舞いの中にそのような調和と美の織 り成す世界を見出す感性の世界に住んでいるのである。


Takahiko Matsubara
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