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国立大学独立行政法人化について思うこと

公務員の仕事は概して非効率的、非能率的であるが、これはもちろん私企 業のように競争原理が働かないためである。そこで民営化や独立行政法人化に より競争原理を取り入れて効率性を上げようという試みがなされているが、国 立大学にまで独立行政法人化が進められようとしている。独立行政法人化の目 的は行政の効率化、能率化であり、財政赤字の解消である。この枠組みに大学 を入れることが正しいことなのだろうか?

学問、とくに、基礎研究は効率や能率というもので測ることが全くできな いものである。特に、研究が独創的で重要であるものほど、その研究過程は非 能率的であることが一般的である。研究というものは本質的に先の見えないも のであり、さまざまな試行錯誤、一見無駄な回り道、紆余曲折を経ていく中か ら、結実して行くものである。もちろん、一定の作業を行うことにより一定の 研究成果を上げるというような問題設定はできるが、そのような研究は独創性 に欠け、高い重要性を持つ研究とはなり得ない。短周期で論文を書いていくこ とが研究の効率性とするなら、そのような重要性の低い研究が奨励されること になる。それはかなり問題である。

そもそも、研究者には効率性や能率性などとは別の尺度による競争がすで に存在している。重要な研究を行っている研究者は研究者の間では一目瞭然で あり、熾烈な競争社会になっている。研究の成果というものはすぐに評価でき るようなものではない。先見性があればあるほど、その評価は十年、あるいは 数十年と評価に時間がかかるものである。ノーベル賞が数十年前の業績に対し て与えられることも普通であることからも明らかであろう。基礎研究はもとも と、すぐになにかの役に立てるという目的で進められるものではなく、純粋な 人間の好奇心により突き進めていくものであり、人類の知識を極限までおし広 げていくという性質のものである。その過程でこれまで未知だった世界を人類 の手に収めていき、我々人間の可能性を大きく広げるものである。それは、何 かの役に立つ、立たないといったある意味けちなものではなく、人類の進んで いく道を決めるほどの原動力となっていくことは、現代の我々の生活や思想が 一時代前の基礎研究の成果の賜物であることからも明らかである。

独立行政法人化した国立大学では、研究が数年ごとに評価されるようにな るというが、そのようなことをすると、明らかに真に独創的かつ重要な研究を 潰す方向へ行く。安易に成果の得られる問題設定の研究が増えることにより、 表面上成果が上がったように見えるかもしれないが、人類の可能性を大きく広 げるのはそのような研究ではなく、研究の流れを作り、牽引する力となるよう な大きな影響力を持つ少数の研究成果である。そのような質の高い研究が育つ 土壌を持つことがどれほど重要であるかはいくら強調しても強調しすぎること はないであろう。

2000年3月6日


Takahiko Matsubara
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