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微調整問題について

物理法則は方程式で表せるが、その定式化の中には、実験でしか定められ ない、理論からは計算不可能な定数がある。我々がここにこうしていられるの は、そのような定数の微妙なバランスの上に成り立っていることはよく知られ ている。

我々が日常的に経験している世界は、より微小な世界の物理法則によって 説明できることが、素粒子理論の標準模型のほとんど奇跡的とも言える成功に よって示されている。その方程式は、計算不可能な20個の任意のパラメータを 含み、それらは実験からしか定められない。そのパラメータの多くは、値がす こしでも変わると、我々の知っているこの世界の様子をカタストロフィックに 全く変えてしまう。

ほとんどの場合、変えられた世界は我々の知っている生命の存在できる条 件を全く満たさないものとなってしまう。これを人間 原理から説明することもできるが、これは原理と呼ぶにはあいまいすぎて、 あまり説得力のある解答にならない。ただ、人間原理は何らかの真実を含んで いることは確かであろう。そうでなければ、まったく任意のパラメータを与え た宇宙すべてに生命が存在しなければならなくなってしまう。

そもそも、素粒子理論の記述する世界は我々の日常世界からみると、非常 に微小な領域である。そのような微小な世界を記述する理論のもつパラメータ が我々の日常世界の運動法則まで決めているのであり、ここに異常な不自然さ がある。実際に、微小世界を見ることは高エネルギーの世界を見ることでもあ る。高エネルギーの世界の法則が日常的な低エネルギーの法則をも説明してい るのは、高エネルギーの法則のパラメータの間で奇跡的な打ち消し合いが働く ことが必要であり、実際に標準模型でもそうなっている。

これは場の理論のくりこみに極限的な形で現れる。素粒子の質量など物理 定数はエネルギーを高くしていくと、低エネルギーで観測する値からずれてい く。エネルギーを極限まで大きくすると事実上無限大にもなる。一方、そのよ うな高エネルギーの極限での物理定数が無限大であるとすると、我々が観測す る値も無限大になるのが自然である。そうなれば我々が意味のある世界を認識 できないことは明らかである。そうなっていないのは、奇跡的というもの以上 の機構により無限大が打ち消し合っているからである。これがどうして起こっ ているのかは、現在全く未知である。場の理論は理由は答えず、ただ計算手法 を与えるのみなのだ。

上のような無限大の打ち消しはそれほど簡単に起こせるものでもなく、特 殊な理論にのみ許されるのである。標準理論におけるアノマリーの解決に代表 されるように、理論に含まれる粒子の種類にいたるまで、異常に微妙なバラン ス、そして、理論の中に巧妙な対称性を必要とするのである。標準理論はまさ にそのような奇跡的なバランスを達成しているのだ。高エネルギーの世界の法 則が低エネルギーの世界の法則をなぜかまう必要があったのだろうか? なぜ そんな特殊な法則がわざわざ選ばれなければならなかったのか? あたかも、 生命の存在できる世界を微妙なバランスと対称性の上に誰かが故意に設定した ようにすら見える。

宇宙論においても同様の問題がある。宇宙の中のエネルギーの量である。 宇宙の中の物質が多過ぎると宇宙は生まれてすぐに自分自身で潰れてしまい、 銀河や星、そして我々が生まれることはない。逆に少な過ぎるとあまりに速い 膨張をして、やはり我々の存在はあり得ない。ちょうど星が生まれて生命が存 在するような許容範囲は驚くほど小さい。宇宙の誕生から一秒後を見てみよう。 そのときの宇宙の密度はある値に正確に15桁一致していなければ、銀河も星も 生まれないのである。これはものすごいことである。どのくらいすごいかとい うと、土星にある半径1ミリメートルの標的を地球から打ち落とすぐらいすご い。ゴルゴ13は数キロ先の人間をも正確に狙撃するが、さらにその100億 倍ぐらいすごいことであり、地球の人間が全員超人的なゴルゴ13の技術を身 につけて挑んだとしても1人成功するかどうかというところである。

なぜそんなすごい宇宙をわざわざ選んだのだろうか。この問題については インフレーション理論が説明すると考えられてきたが、残念ながら、インフレー ションをうまく起して大膨張の後に適度な所で終らせて望みの宇宙を作るには また、微妙な調整を必要とするのだ。少なくとも、我々が正しいと知っている 標準理論からは望みのインフレーションは起こりそうもない。インフレーショ ンが本当の解答かどうかはまだ決着がついていないので、確定的なことはいえ ないが、仮に、インフレーションがその解答であるとしてみよう。すると、イ ンフレーションを起こす機構は究極的には高エネルギー領域を記述する理論か ら導かれなければならない。すると、またもとに戻ってしまうことになる。つ まり、究極の高エネルギー理論は望みのインフレーションを起こすことが必要 になる。これは、さらに高エネルギー理論への微妙なバランスを要求すること になる。

最近の宇宙論はさらに微妙である。悪夢のような宇宙項が黄泉の国からま た甦ってきたのだ。以前はこの宇宙項はなんらかの理由で消えていると期待さ れていたのだが、最近の観測により、極めて小さい値を持っているという複数 の強い証拠が出て来た。その小ささは尋常ではない。これは真空のエネルギー であるからだ。真空のエネルギーはとてつもない高エネルギーにおいて顕著に なる量なので、その値は非常に大きなものとなるのが自然なのである。単純に 期待される値と観測の値の違いは実に120桁もの食い違いなのである。宇宙項 が大きいと、我々の日常世界にやはりまたカタストロフィックな影響がある。 つまり、宇宙がすぐに潰れてしまうか、あまりに速い膨張をするかどっちかな のである。ちょうど、120 桁の精度で調整して初めて我々の世界ができるので ある。そのものすごさは想像を絶する。しかもそのような調整が起こる理由は 全く見当たらない。これはインフレーション理論のような何らかの手がかりも 全くない。

これらの物理定数の間の微妙なバランスを達成する機構について、我々は 全く無知である。素粒子理論では、対称性というものが大きく働いていると考 えているが、それは、その微妙なバランスの起こる過程の一部を明らかにはす るかもしれない。だが、なぜ対称性が必要なのだろうか。しかも、これこれの 対称性がなぜ採用されて、他の対称性は採用されないのだろうか。自然は微妙 なバランスを達成するために必要な対称性の助けを借りて来ているようにも見 える。あらゆる法則や物理定数はそれらの対称性を酷使して生命の存在を許す べく最大限の努力をしているかのようである。

これを人間原理の一言でかたずけてしまうの は容易だが、それで満足できるものではなかろう。それでは全く疑問の解決と はなっていないこともまた明らかに思われ、単に追及を諦めるときの捨て台詞 のようでもある。人間原理は疑問を完全に解決するものではなく、考え方の一 つである。この考え方に表れていることは、物理定数を通常の意味での物理的 原理から導くことはできない、ということであろう。逆に言えば、我々が通常 使っている物理学の手法では微調整問題は避けて通れないので、この問題が起っ ても躊躇することはないと言えるであろう。むしろ、微調整が必要になる例が 増えれば増えるほどその本質が見えてきて、より深い自然の理解につながるの ではないだろうか。

この問題について、「 空と物理学について、その2 」でも述べたが、観測を行なう主体である人間の意識を無視できないよう にも思われるが、これ以上はちょっとどうかというスペキュレーションになっ ていくので、このへんでやめておこう。少なくとも、この考えをこれ以上進め るには、なにかこれまで使われてきた物理学の手法とは別の定式化が必要であ る。しかもそれは、これまで成功を収めてきた物理理論を捨て去らずに実行す ることが必要である。それは簡単ではない。しかし、我々は不可知論に陥って はならない。いかに可能性が小さく見えたとしても、その可能性を追求する者 だけが未知の世界を切り開けるからである。

先日、テレビのインタビューに出ていた、ジョン・ホイーラーの言葉でこ の小文を締めくくろう。「この世の中で物理の方程式ほど死んでいるものはな い。この宇宙を説明する方程式を考えて足元の四角いタイルに書く。次のタイ ルにはもっとよく説明するだろう方程式を考えて書く。そして、その次にも、 もっともっと正しくなると望みつつ書きつづけていく。すると部屋の隅に到達 してしまい、外へ出なければならない。そこで魔法の杖を振って方程式を飛ば そうとするのだが、どんな方程式にも飛ぶための羽は付いていない。しかし、 実際にこの宇宙は飛んでいるのだ。それは、生命をその中に含んでいるのであ る。一方、どんな方程式にも生命は含まれていない。そして、その生命は、私 たち自身のことなのだ。」

2000年5月14日


Takahiko Matsubara
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