これについて現在広く受けいられている自然なモデルは、初期に存在したごく わずかなエネルギー密度のゆらぎが自己重力により増幅されて現在の大規模構 造を生み出すもとになったとするものである(重力不安定説)。重力不安定説 に基づくゆらぎの進化は複雑な非線形現象であり、数値シミュレーションや、 近似理論の方法によって解析される。本論文ではこれらの方法により、実際に 観測可能な銀河分布の統計的諸量の進化を調べた。また、銀河の個数密度と質 量の密度場は厳密には比例しないと考えられるが、その効果が統計的解析に及 ぼす効果について調べるための数学的定式化を行った。具体的な論文の構成と 要旨は以下に述べる通りである。
第1章は導入であり、研究の動機と、論文の構成を述べた。
第2章では本論文で必要な背景となる知識についてまとめた。膨張宇宙の進化 について簡単に復習した後、その中でのゆらぎの重力的進化に関する線形理論 および高次摂動論についてまとめた。相関関数は銀河の空間分布を定量化する 伝統的な方法であるが、これについて基本的な要約を行った。初期ゆらぎの性 質は見えない物質、ダークマターの正体に大きく左右される。これについての 理論的帰結を簡単に紹介した。
第3章ではゆらぎのいくつかの統計量の力学的進化について調べた。まず、宇 宙論的 $N$ 体シミュレーションを用いて銀河の2、3、および4点相関関数 の進化を詳しく調べた。銀河の相関関数は階層モデルに従っているという提案 がある。これは、$N$ 点相関関数が2点相関関数の $N-1$ 個の積で表される というモデルである。階層モデルがどの程度成り立つのかをいくつかの宇宙モ デルについて解析した。とくに相関関数の $N$ 点の幾何学的配置に対する依 存性を世界で初めて詳細に評価し得た。その結果、階層モデルはおおむね近似 的に成立するが、厳密な関係式ではなく、特に非線形性の強い領域において破 れている。そして、その破れ方は宇宙モデル、初期条件に依存することを初め て定量的に示した。
さて、銀河の3次元分布は宇宙膨張についてのハッブルの法則を利用し、各々 の銀河が我々から遠ざかる速度を元にして作られる。これを赤方偏移地図とい う。このとき銀河のハッブル膨張則からのずれ、すなわち特異速度の存在によ り赤方偏移地図は実際の銀河分布からずれる。この効果を赤方偏移変形という。 上で述べた相関関数の解析について、赤方偏移変形の効果を数値的に詳しく調 べた。その結果、コールドダークマターモデルと呼ばれる、観測を比較的良く 説明し得る宇宙モデルにおいて、階層モデルは実際の銀河分布よりもむしろ赤 方偏移空間での分布において良く成立することが示された。この結果は観測の 解釈に注意が必要であることを示唆する。実際、この結果は赤方偏移地図の解 析により提案されているあるスケーリング関係が見掛け上のものであることを 示唆する。
次に大規模構造のトポロジーを記述するジーナス統計、および関係するいくつ かの等密度面の統計である、2次元ジーナス、面積統計、長さの統計、および 交差統計について調べた。これまでこれらの統計量の力学的進化は数値シミュ レーションによってのみ調べられていた。ここでは2次の摂動論に基づき初め て解析的表式を求め得た。得られた表式は数値シミュレーションと極めて良く 一致する。摂動論によっているため非線形性の弱い領域に適用範囲は限られる が、解析式であるため、様々な宇宙モデルの広いパラメーターサーベイが簡単 に行えることになる。したがって観測との比較から宇宙の初期条件に関する情 報を引き出すことが、数値シミュレーションの方法に比較して、かなり容易に なる。残念ながら本論文の執筆時までの観測データの量はこの比較を大きな信 頼性を持って行うのに十分ではないが、数年後に完成が予定されているディジ タルスカイサーベイ計画等の大規模な赤方偏移探査は大量かつ高質の観測デー タを提供する。その時点で今回導出した解析式は宇宙モデルのテストにおいて 大きな役割を果たすであろう。
次に $N$ 点相関関数に対する赤方偏移変形を非線形性の強い領域において半 解析的な手法によって調べた。詳しいことは省略するが、新しく導入したこの モデルの本質は銀河の特異速度の分布がクラスターの中で一定の分布則に従っ ていることを仮定する。更にその分布則に対しポテンシャルの深いところで速 度の平均値が大きくなるというビリアル定理の効果を部分的に採り入れる方法 を提示した。このモデルは数値シミュレーションの結果を良く再現する。この 結果は特に高次相関関数に対する非線形性の強い領域での解析的モデル化とし ては初めてのものである。2次相関関数についてもこれまでのモデルに対して 最も詳細なモデルとなっている。上で数値的に調べた赤方偏移空間での階層モ デルの成立に対して、相関関数の平均化という観点から部分的な答を与えた。
さらに、宇宙のトポロジーおよび等密度面の統計に対して線形理論により赤方 偏移変形の効果を調べた。赤方偏移変形は線形領域で宇宙の平均密度に依存す る。宇宙の平均密度は今だ観測的に正確な値が求まっておらず、我々の宇宙が 有限か無限かを決定する宇宙論的に重要なパラメータの一つである。ここで求 めた赤方偏移変形の表式により大規模構造のトポロジーなどの赤方偏移変形か ら宇宙の密度パラメータの値を推定する方法を初めて提示した。特に2次元ジー ナス、長さの統計、交差統計はこの目的に向いていることを見出した。
第4章では観測可能な銀河などの対象が、必ずしも宇宙の密度場を忠実に表し ていないことによる効果、いわゆるバイアスの効果を定量的に処理するための 数学的な枠組を定式化した。バイアスがどのように生じるのかについては銀河 形成の詳細に依存し、まだ良くわかっておらず、将来の研究が明らかにしてい くものと考えられる。バイアスは大規模構造の統計的解析に影響を及ぼす。そ こでここではバイアスの詳細に依存せずに成り立つ数学的関係を明らかにした。 また、バイアスを表す汎関数は未知のものとしてその結果我々が観測する銀河 分布の統計的性質を計算する方法を定式化した。この新しい方法は場の理論や 統計力学などで有用なファインマン図形同様、図形的展開の方法に基づき、直 観的で扱いやすいものである。ここでは応用の第一段階としてこの方法をこれ まで調べられていたバイアスに関する問題に適用してみた。その結果、これま で複雑な計算により近似的に求められていたいくつかの問題に対し、計算の簡 単化および近似精度の向上をもたらすことが示された。これは今後新たな問題 を解く時の有力な手段となることを示唆している。この方法の本格的応用は今 後順次研究していく予定である。
まとめとして、本論文では宇宙の大規模構造のいくつかの統計量に対する力学 的進化を重力不安定説に基づいた様々なアプローチにより調べた。また観測と 理論を比較する時に問題となる赤方偏移変形とバイアスの効果をこれらの統計 量について詳しく調べた。大規模構造を定量化する統計量は本論文で扱ったも の以外にもいくつかあるが、正しい宇宙モデルはこれら全ての統計量について のテストをパスしなければならない。現在銀河の赤方偏移データは急速に増え ており、近い将来この方面での観測と理論の比較は我々の宇宙の研究に新しい 段階をもたらすことは疑いないであろう。