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密度ゆらぎの相関関数とパワースペクトル

定量的に宇宙の構造を調べるためには,それを統計的に記述することが必要で ある。宇宙論においては個々の天体の特徴を調べるよりは,宇宙全体としての 特徴を調べることのほうがより有用である.個々の天体現象は多分に偶然に支 配されている面があるため,宇宙そのものの性質とは直接関わりのないことが 多いのである.そのような偶然的な要素を排して,この宇宙全体としての空間 的な構造を特徴づけるために最もよく用いられるものが相関関数,あるいはパ ワースペクトルである.


相関関数

ここまで見て来たように、理論的な密度ゆらぎの成長を調べることはできるが、 ある一つの場所の密度ゆらぎがいくつであるかという情報にはあまり意味はな い。それは単に初期条件がたまたまある場所でどのようであったかということ から決まり、空間的にいろいろな点を見ればどのような初期条件も原理的には あり得るからである。むしろ、密度ゆらぎが空間的に離れた場所同士でどのよ うに関係しあっているかという統計的な情報の方が宇宙論的に意味のあるもの である。例えば、密度場がまったくランダムに分布しているならば、空間的に 異なる点でのゆらぎは全く関係のないものとなっている。また、密度場がクラ スタリングしているとき、ある場所$ 1$ での密度ゆらぎ$ \delta_1$ が大きけれ ば平均的にはその近くの場所$ 2$ での密度ゆらぎ$ \delta_2$ も大きいであろう。 また、逆にある場所$ 1$ での密度ゆらぎ$ \delta_1$ が小さく負の値となってい れば、平均的にはその近くのゆらぎ$ \delta_2$ も小さく負の値となっているで あろう。こうして、クラスタリングが大きければ大きいほど近くの点での密度 ゆらぎの積 $ \delta_1 \delta_2$ は平均的に大きな値をとるであろう。クラス タリングが全くなければ、この積は各点での平均値の積、すなわちゼロとなる。

このようにして、2点でのゆらぎの積の平均が密度ゆらぎの性質を統計的に特 徴づけるものと考えられる。理論的には、実際に空間的な平均値を考えるより は、統計的なアンサンブル平均を考えるほうか自然である。これは統計力学に おいても位相空間における粒子の時間的な平均値を考えるかわりに、統計的に は同等な仮想的なサンプルを無限個用意して、それらの間で平均を考えること で理論的な予言が可能になるのと同じことである。密度分布の統計についても、 統計的に同等な仮想的な宇宙を無限個用意して、それらの間で平均をとること ではじめて理論的な予言ができるのである。実際の観測に対応するのはあくま で空間平均であるから、この平均の意味の置き換えは、無限に大きな空間中で の平均が統計平均に等しいときにはじめて意味がある。この二つの平均操作の 同等性は、エルゴート仮説(Ergodic hypothesis)と呼ばれる。この仮説 に対する一般的な証明はまだないが、ガウス分布のときにはエルゴード仮説は 定理として証明されている。一般の場合には通常、エルゴード仮説は成り立っ ていると仮定されて理論的な予言がなされる。これは統計力学においても同様 である。

そこで、ある2点における密度の積をアンサンブル平均したものを相関関 数(Correlation function)と呼び、

$\displaystyle \xi(r_{12}) = \left\langle \delta({\mbox{\boldmath$r$}}_1) \delta({\mbox{\boldmath$r$}}_2) \right\rangle$ (F.6.117)

とかく。ここで、 $ r_{12} = \vert{\mbox{\boldmath $r$}}_1 - {\mbox{\boldmath $r$}}_2\vert$ であるが、このように 相関関数が2点の距離にしかよらないのはもちろん、宇宙が平均的に一様等方 だからである。また、式(6.6.118)から、密度場 $ \rho({\mbox{\boldmath $r$}})$ の相関 としては

$\displaystyle \left\langle \rho({\mbox{\boldmath$r$}}_1) \rho({\mbox{\boldmath$r$}}_2) \right\rangle = \bar{\rho}^2 \left[1 + \xi(r_{12})\right]$ (F.6.118)

と書ける。密度場が全くランダムに分布していれば、2点の密度場の積の平均 は、各密度場の平均の積 $ \bar{\rho}^2$ に等しいので、確かに $ \xi(r_{12}) =
0$ となっている。このことから、相関関数は密度場の2点を取ったときに、お 互いの点での密度場の値の影響を受けて、全くランダムな分布からずれている 効果を表している。

密度ゆらぎ $ \delta({\mbox{\boldmath $r$}})$ の空間積分はゼロであることから、式 (6.6.117)において $ {\mbox{\boldmath $r$}}_2$ を極座標で原点のまわりに空間積分する ことにより

$\displaystyle \int_0^\infty {r}^2 dr \xi(r) = 0$ (F.6.119)

となることがわかる。相関関数は必ずこの性質を満たすものでなければならな い。これにより、相関関数はずっと正または負ではありえないことがわかる。 例えば、比較的近距離で正であったとしてもどこかにゼロ点があり、その先は 負になっている。その先ではまた正や負にもなり得る。


パワースペクトル

相関関数は密度ゆらぎを実空間で直接みた統計的指標であるが,これに対して 密度ゆらぎをいったんフーリエ空間に変換してからみたときの統計的指標がパ ワースペクトルである.密度ゆらぎのフーリエ変換

$\displaystyle \tilde{\delta}({\mbox{\boldmath$k$}}) = \int d^3 r e^{-i{\mbox{\s...
...ldmath$k$}}\cdot{\mbox{\scriptsize\boldmath$r$}}} \delta({\mbox{\boldmath$r$}})$ (F.6.120)

を考える。すると、フーリエ空間での相関は

$\displaystyle \left\langle \tilde{\delta}({\mbox{\boldmath$k$}})\tilde{\delta}(...
...ldmath$r$}}_2} \xi(\vert{\mbox{\boldmath$r$}}_1 - {\mbox{\boldmath$r$}}_2\vert)$ (F.6.121)

となる。ここで、 $ {\mbox{\boldmath $r$}}_2$ を固定して先に $ {\mbox{\boldmath $r$}}_1$ を積分することにし、 変数変換 $ {\mbox{\boldmath $r$}}_1 = {\mbox{\boldmath $r$}} + {\mbox{\boldmath $r$}}_2$ を行って積分することにより、

$\displaystyle \left\langle \tilde{\delta}({\mbox{\boldmath$k$}})\tilde{\delta}(...
...k$}}\cdot{\mbox{\scriptsize\boldmath$r$}}} \xi(\vert{\mbox{\boldmath$r$}}\vert)$ (F.6.122)

が導かれる。このように、フーリエ空間の相関には必ずデルタ関数が現れる。 この理由は、実空間での相関関数$ \xi$ が2点の相対的な位置 $ {\mbox{\boldmath $r$}}_1 -
{\mbox{\boldmath $r$}}_2$ にしかよらないこと、すなわち並進不変性からきている。また、デ ルタ関数以外の部分は極座標において積分することにより

$\displaystyle \int d^3 r e^{-i{\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}}\cdot{\mbox{\scri...
...int_{-1}^1 d\mu e^{-ikr\mu} \xi(r) = 4\pi\int r^2 dr \frac{\sin(kr)}{kr} \xi(r)$ (F.6.123)

となって、波数ベクトルの大きさ $ k=\vert{\mbox{\boldmath $k$}}\vert$ にしかよらないことがわかる。 これは実空間の相関関数が2点の距離のみにより、相対的な方向にはよらない ことからきている。上の関数は相関関数 $ \xi(\vert{\mbox{\boldmath $r$}}\vert)$ を3次元的にフーリ エ変換したものであるが、これを$ P(k)$ と書き、これをパワースペクト ル(Power spectrum) と呼ぶ。すなわち、

$\displaystyle \left\langle \tilde{\delta}({\mbox{\boldmath$k$}})\tilde{\delta}(...
...rangle = (2\pi)^3 \delta^3({\mbox{\boldmath$k$}} + {\mbox{\boldmath$k$}}') P(k)$ (F.6.124)

である。パワースペクトルと実空間の相関関数はお互いに3次元フーリエ変換 の関係
$\displaystyle P(k)$ $\displaystyle =$ $\displaystyle \int d^3 r e^{-i{\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}}\cdot{\mbox{\scri...
...(\vert{\mbox{\boldmath$r$}}\vert) =
4\pi\int r^2 dr \frac{\sin(kr)}{kr} \xi(r)$ (F.6.125)
$\displaystyle \xi(r)$ $\displaystyle =$ $\displaystyle \int \frac{d^3 k}{(2\pi)^3}
e^{i{\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}}...
...box{\boldmath$k$}}\vert) =
\int \frac{k^2 dk}{2\pi^2} \frac{\sin(kr)}{kr} P(k)$ (F.6.126)

にある。このような相関関数とパワースペクトルの間の関係をウィーナー・ ヒンチン関係(Wiener-Khintchine relation)と呼ぶ。

密度ゆらぎのフーリエ変換の代わりに、密度場そのもののフーリエ変換によって ももちろんパワースペクトルを表すことができる。密度場のフーリエ変換

$\displaystyle \tilde{\rho}({\mbox{\boldmath$k$}}) = \int d^3 r e^{-i{\mbox{\scr...
...boldmath$k$}}\cdot{\mbox{\scriptsize\boldmath$r$}}} \rho({\mbox{\boldmath$r$}})$ (F.6.127)

を考えよう。これは密度ゆらぎのフーリエ変換とは

$\displaystyle \tilde{\rho}({\mbox{\boldmath$k$}}) = \bar{\rho} \int d^3 r e^{-i...
...\delta^3({\mbox{\boldmath$k$}}) + \tilde{\delta}({\mbox{\boldmath$k$}}) \right]$ (F.6.128)

と結び付いているので、

$\displaystyle \left\langle \tilde{\rho}({\mbox{\boldmath$k$}}) \tilde{\rho}({\m...
...$}}') \bar{\rho}^2 \left[(2\pi)^3 \delta^3({\mbox{\boldmath$k$}}) + P(k)\right]$ (F.6.129)

となる。


質量ゆらぎ

密度ゆらぎを特徴づけるのに,あるスケールで平均した質量が宇宙の平均に比 べてどのくらい多いかも重要な指標となる.これは質量ゆらぎと呼ばれるもの である.あるスケールにおける質量ゆらぎの分散が1程度になるかどうかは,そ のような質量スケールをもつ天体が形成されるかどうかをおおまかに示してい て,重要な量のひとつである.この質量ゆらぎの分散はパワースペクトルと関 係している。

ここで,質量ゆらぎとパワースペクトルの対応関係を説明しておく.ある半径 $ R$ の球内に含まれる質量を考え,その宇宙全体での平均値を$ M$ とし,ある 特定の点におけるこの平均値からのずれを$ \delta M$ とする. すると,

$\displaystyle M = \frac{4\pi R^3}{3} \bar{\rho}, \qquad \delta M = \int_{\vert{...
...e\boldmath$x$}}\vert \le R} d^3\!x  \bar{\rho}  \delta({\mbox{\boldmath$x$}})$ (F.6.130)

と表される. したがって,平均質量$ M$ で規格化した質量ゆらぎ $ \delta M/M$

$\displaystyle \frac{\delta M}{M} = \frac{3}{4\pi R^3} \int_{\vert{\mbox{\script...
...!x  e^{i{\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}}\cdot{\mbox{\scriptsize\boldmath$x$}}}$ (F.6.131)

と表される.ここで2番めの等式ではフーリエ展開の 式(6.6.120)を代入した.この式の最後の積分は,波長が半径 よりも十分大きい $ k \gg R^{-1}$ のモードに対しては,被積分関数が強い振動 をするため消えてしまう.また,逆に波長が半径よりも十分小さい $ k \ll
R^{-1}$ のモードに対しては被積分関数がほぼ$ 1$ になる.そこでおおざっぱな 近似として

$\displaystyle \frac{3}{4\pi R^3} \int_{\vert{\mbox{\scriptsize\boldmath$x$}}\ve...
...\{ \begin{array}{ll} 1 & (k \leq R^{-1}) 0 & (k > R^{-1}) \end{array} \right.$ (F.6.132)

と見積もることができる.こうして近似的に

$\displaystyle \frac{\delta M}{M} \sim \int_{\vert{\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}}\vert\le R^{-1}} \frac{d^3k}{(2\pi)^3} \tilde{\delta}({\mbox{\boldmath$k$}})$ (F.6.133)

となることがわかる.ここで式(6.6.124)を用いると質量ゆらぎの分散 が計算でき,

$\displaystyle \left\langle \left(\frac{\delta M}{M}\right)^2 \right\rangle \sim...
...R^{-1}} \frac{d^3k}{(2\pi)^3} P(k) = \int_0^{R^{-1}} \frac{k^2 dk}{2\pi^2} P(k)$ (F.6.134)

となる.つまり,質量ゆらぎの分散は,考えている半径スケールよりも長い波 長の全てのモードのパワースペクトルを積分したものでほぼ近似できる.この 質量ゆらぎの表現は近似的に導いたものであるが,おおまかに質量ゆらぎを表 す量として式(6.6.134)の右辺を質量ゆらぎの定義として用いることもよ くある.この場合,分散の平方根という意味で $ \delta M/M$ という記号を使 い,

$\displaystyle  \frac{\delta M}{M} \equiv \left[ \int_0^{R^{-1}} \frac{k^2 dk}{2\pi^2} P(k)\right]^{1/2}$ (F.6.135)

と定義される.この関数は質量スケール $ M = 4\pi R^3 \bar{\rho}/3$ の関数と して考えられることが多い.

波数の対数の微小区間 $ d\ln k = dk/k$ あたりの質量ゆらぎへの寄与は, 式(6.6.135)から

$\displaystyle \Delta^2(k) \equiv \frac{k^3}{2\pi^2} P(k)$ (F.6.136)

である.この量 $ \Delta^2(k)$ は無次元量であり,ある波数$ k$ のゆらぎの特徴 的な大きさを表している.一方,パワースペクトル$ P(k)$ は体積の次元を持っ ている.

初期条件

宇宙の密度ゆらぎははじめどのようなものであっただろうか? これは,ゆらぎ の生成を引き起こす機構が何かによる.宇宙の密度ゆらぎが何によって引き起 こされたのか,あまり明らかなことではない.

1970年初頭,ハリソンとゼルトビッチは,ゆらぎの生成機構に言及することな く,この初期ゆらぎがどうあるべきかについて論じている.彼らは理論的な観 点から,宇宙のちょうどホライズン半径に対応する質量ゆらぎは普遍的に同じ 大きさであるべきであるとしたのである.ホライズン半径は時間とともに大き くなっていくが,その時刻ごとに与えられる半径の質量ゆらぎの大きさがいつ も同じであるとしたのである.この仮定は宇宙の構造をよく説明することが知 られている.

このときのパワースペクトルの形を求めてみる.まず,ホライズン半径は実ス ケールで$ cH^{-1}$ で与えられるから,その共動スケールの半径は $ R_{\rm H}
= c/(aH)$ である.放射優勢期でスケール因子は $ a \propto t^{1/2}$ となるか ら, $ R_{\rm H} \propto a$ となり,物質優勢期ではスケール因子 は $ a\propto t^{2/3}$ となるから, $ R_{\rm H} \propto a^{1/2}$ となる.ホ ライズン半径内の物質の平均質量は $ M_{\rm H} \propto \bar{\rho}_{\rm m}
a^3 {R_{\rm H}}^3 \propto {R_{\rm H}}^3$ であるから,

$\displaystyle M_{\rm H} \propto \left\{ \begin{array}{ll} a^3 & (放射優勢期)  a^{3/2} & (物質優勢期) \end{array} \right.$ (F.6.137)

で与えられる.またホライズン半径より長い波長の密度ゆらぎは放射優勢期 で$ a^2$ に比例して成長し,物質優勢期で $ a$ に比例して成長する.この成長 因子を時間の関数として式(6.6.137)で与えられるホライズン 内の平均質量で表せば,放射優勢期と物質優勢期のいずれの場合でも $ {M_{\rm
H}}^{2/3}$ に比例する.パワースペクトルは密度ゆらぎの2次の量であるか らその時間発展は $ {M_{\rm H}}^{4/3}$ に比例した成長をする.ここで,ホライ ズン半径より長い波長 $ k \leq k_{\rm H} \equiv 1/R_{\rm H}$ におけるパワー スペクトルの形としてべき乗の形$ k^n$ を仮定してみると時間発展を含め て $ P(k) \propto {M_{\rm H}}^{4/3} k^n$ となる. $ k_{\rm H} \propto
{M_{\rm H}}^{-1/3}$ であるから,質量ゆらぎの式(6.6.135)は ホライズン半径において

$\displaystyle \left(\frac{\delta M}{M}\right)_{\rm H} \propto {M_{\rm H}}^{2/3}...
...o {M_{\rm H}}^{2/3} \cdot {M_{\rm H}}^{-(n+3)/6} \propto {M_{\rm H}}^{-(n-1)/6}$ (F.6.138)

となっている.放射優勢期か物質優勢期かにかかわらず,この量が質量スケー ルによらずに一定値となるには,$ n=1$ のべき型のパワースペクトル

$\displaystyle P(k) \propto k$ (F.6.139)

であればよいことになる.このとき,ちょうどホライズン半径に対応する質量 ゆらぎが時刻によらず常に一定である.この式(6.6.139)で与えられる形 のパワースペクトルはハリソン・ゼルドビッチスペクトル (Harrison-Zel'dovich spectrum) と呼ばれる.このスペクトルはホライズンに入る前のゆらぎの大きさを 表すもので,ホライズン内に入ったゆらぎは上に述べてきたような物理的効果 により変形される.その意味でゆらぎの初期条件を与えるものである.

初期ゆらぎの生成機構についてはこれまでにいろいろな説が唱えられてきたが, 多くの説は観測に合わないことなどから消えている.現状で観測と矛盾しない 有力な説は節5.3.3で述べた,宇宙初期のインフレーション期に 密度ゆらぎが作られたとするものである.インフレーション期が実際にこの宇 宙にあったのかどうかを直接知ることは難しい.だが,インフレーション理論 が密度ゆらぎを生成するなら,生成された密度ゆらぎが現実の宇宙に存在する 密度ゆらぎを説明し得るかを調べることによって間接的にインフレーション理 論を確かめることができるであろう.

5.3.3で説明したように,インフレーション理論で生成され るゆらぎはホライズンサイズに入ってくるときに同じ振幅のスケール不変なゆ らぎを持つので,ほとんどハリソン・ゼルドビッチスペクトルに近いゆらぎに なる.インフレーション中,完全なド・ジッター宇宙からわずかにずれている ことからスケール不変性が破れるなどの理由により,完全なハリソン・ゼルド ビッチスペクトルからずれるが,ほぼ波数のべき乗で与えられる形

$\displaystyle P(k) = A k^n$ (F.6.140)

を予言する.ここで$ A$ はゆらぎの振幅を表す定数で,$ n$ はゆらぎのべき指数 である.ハリソン・ゼルドビッチスペクトルは観測によく合致すること から,これはインフレーション理論を支持する事実と見なされている.ただし, 現段階ではさまざまなインフレーション理論のどれがよいのか区別ができない. 今後はハリソン・ゼルドビッチスペクトルからのずれを用いてさらにインフレー ション理論を検証することが課題となっていくであろうと考えられる.


遷移関数

ホライズン半径より長波長のゆらぎは上のようにハリソン・ゼルドビッチスペ クトルあるいはそれに似たもので与えられると考えられるが,それよりも短波 長のゆらぎは上に述べてきたように,物理効果によってスケールに依存した変 形を受ける.このため,パワースペクトルの形は初期の形から変形されること になる.線形理論ではゆらぎの進化の方程式が波数$ k$ ごとに独立した方程式に なる.したがって,この変形は初期ゆらぎのパワースペクトルの各波数ごとに 独立した係数がかかる効果として表される.この係数のことを遷移関数と呼ぶ.

いま,興味あるスケールがすべてホライズンの外にあるような,ある十分初期 の時刻 $ t = t_{\rm init}$ でのゆらぎのスペクトルを $ P_{\rm init}(k)$ とする. 初期スペクトル がべき則の場合は

$\displaystyle P_{\rm init}(k) = A_{\rm init} k^n$ (F.6.141)

とかける.ここで $ A_{\rm init}$ はスペクトルの初期振幅を表している.ハリ ソン・ゼルドビッチスペクトルは$ n=1$ の場合に対応する.だが,以下の議論は 特にべき則でなければならないというわけではなく,一般の初期スペクトルに ついて成り立つ.

ホライズンを超える波長のゆらぎは波数によらず一様に成長する.その成長因 子を $ \delta \propto D(t)$ とする.具体的にはこれは放射優勢期で $ D(t)
\propto a^2(t)$ , 物質優勢期で $ D(t) \propto a(t)$ である.宇宙膨張に曲率 や宇宙項の効くような一般の場合にはまた別の関数となるので,ここでは一般 的に考えておく.

一方,ホライズン内に入っているゆらぎは一般に波数に依存した変形を受ける. ただし,線形理論では必ず波数$ k$ ごとに独立にゆらぎが発展する.そこで,初 期ゆらぎのフーリエ変換を $ \delta^{\rm (init)}({\mbox{\boldmath $k$}})$ とすると,時間発 展したゆらぎは

$\displaystyle \delta({\mbox{\boldmath$k$}})(t) = \frac{T(k,t) D(t)}{D(t_{\rm init})} \delta^{\rm (init)}({\mbox{\scriptsize\boldmath$k$}})$ (F.6.142)

とかくことができる.ここで$ T(k,t)$ はホライズン内でのさまざまな物理効果 によるゆらぎの成長や抑制をまとめて表す因子であり,遷移関数と呼ばれる. このとき,時刻$ t$ におけるパワースペクトルは

$\displaystyle P(k) = \frac{T^2(k,t) D^2(t)}{D^2(t_{\rm init})} P_{\rm init}(k)$ (F.6.143)

で与えられる.ホライズン半径 $ R_{\rm H}(t)$ よりも長波長のゆらぎは遷移関 数の影響を受けないので, $ k \ll k_{\rm H}(t) \equiv 1/R_{\rm H}(t)$ に対 して必ず $ T(k,t) \rightarrow 1$ となる.

ここで,上の式は線形理論の成り立つ範囲で成立することに注意しよう.線形 理論はゆらぎ$ \delta$ が平均的に$ 1$ よりも十分小さいときに正しい.これは 式(6.6.136)で与えられる無次元化されたパワースペクトルに対し て, $ \Delta^2(k) \ll 1$ という条件のときに満たされる.ボトムアップ型の構 造形成の場合, $ \Delta^2(k)$ $ k$ の増加関数,すなわち短波長のゆらぎほど 振幅が大きいので,小スケールから順番に $ \Delta^2(k) > 1$ となって非線形な 力学に支配されるようになる.現在の宇宙のゆらぎに対してはほぼ$ 10$ Mpc以下 が非線形となっていることが知られていて,そのような領域に対して線形理論 は破れている.だが,過去にさかのぼればゆらぎは小さくなっているので,宇 宙初期ではこれよりずっと小さなスケールまで線形理論が成り立つ.また,現 在でも十分大きなスケールでは線形理論が成り立っている.

遷移関数の形を決めるもっとも大きな要因のひとつは,放射優勢期におけるス タグスパンションである.この時期,ホライズン半径より長波長のゆらぎが成 長できるのに対して,それより短波長のゆらぎはほとんど成長できない.短波 長のゆらぎほどホライズン内に入っている期間が長いので,短波長側ほど遷移 関数がより小さくなる.放射優勢期が終わるとスタグスパンションは起こらな くなり,この効果による遷移関数の変化は止まる.したがって,放射優勢期と 物質優勢期の境目である等密度時 $ t_{\rm eq}$ の時点でのホライズン半径に対 応する波数 $ k_{\rm H}(t_{\rm eq})$ を境に,遷移関数は大きく折れ曲がること になる.

このスタグスパンションによる遷移関数の折れ曲がりの正確な形を得るには相 対論的なゆらぎの発展方程式を数値的に解く必要がある.だが,そのおおよそ の形は次のように考察できる.まず,放射優勢期には $ a \propto t^{1/2}$ であるから,ホライズン半径に対応する波数は $ k_{\rm H} = aH/c
\propto a^{-1}$ である.したがって,ある波数$ k$ に着目したとき,その 波長がホライズン半径に なる時刻でのスケール因子を $ a_{\rm enter}(k)$ とおくと, $ a_{\rm enter}(k)
\propto k^{-1}$ である.等密度時にすでにホライズン内に入っている波数 $ k
\gg k_{\rm H}(t_{\rm eq})$ のゆらぎはその波長がホライズンを越えていると きのみ$ a^2$ に比例した成長をして,ホライズン内に入ると成長が止まる.した がって,そのようなゆらぎに対しては

$\displaystyle \delta({\mbox{\boldmath$k$}}) \propto \left[ a_{\rm enter}(k) \ri...
...\mbox{\boldmath$k$}}) \propto k^{-2} \delta^{\rm (init)}({\mbox{\boldmath$k$}})$ (F.6.144)

というスケール依存をした成長になる.ここから遷移関数の漸近形として物質優 勢期以後

$\displaystyle T(k) \propto \left\{ \begin{array}{ll} 1 & [k \ll k_{\rm H}(t_{\rm eq})]  k^{-2} & [k \gg k_{\rm H}(t_{\rm eq})] \end{array} \right.$ (F.6.145)

となることがわかる.この遷移関数の折れ曲がりに対応する波数のスケールは

$\displaystyle k_{\rm H}(t_{\rm eq}) = a(t_{\rm eq}) H(t_{\rm eq}) = 0.073 \Omega_{\rm m} h  [h/{\rm Mpc}]$ (F.6.146)

で与えられ,構造形成にとって決定的に重要なスケールを与える.

宇宙の物質成分としてコールドダークマターのみを考える場合には,遷移関数 の表れる要因としてはこのスタグスパンションによる効果だけである.この場 合,初期ゆらぎとして標準的なハリソン・ゼルドビッチスペクトルであればパ ワースペクトルの漸近形は

$\displaystyle P(k) \propto k T^2(k) \propto \left\{ \begin{array}{ll} k & [k \l...
...m H}(t_{\rm eq})]  k^{-3} & [k \gg k_{\rm H}(t_{\rm eq})] \end{array} \right.$ (F.6.147)

となる.宇宙の主要成分はコールドダークマターであるから,実際のスペクト ルもほぼこのような形をしている.

6.2に,物質成分の種類を変えたいくつかの場合に対応 する遷移関数を示した.

図 6.2: 遷移関数.実線はコールドダークマターのみの宇宙.濃い破線 はバリオンのみの宇宙.濃い点線はホットダークマターのみの宇宙.いずれも $ \Omega _{\rm m} = 0.27$ , $ h = 0.71$ を仮定している.薄い点線はバリオン とコールドダークマターの混ざった,より現実的な宇宙( $ \Omega _{\rm b} = 0.04$ , $ \Omega _{\rm CDM} = 0.23$ )である.
\includegraphics[height=20pc]{figs/fig_TF.eps}
物質成分がコールドダークマターのみの場合は上に述べたスペクトルの折れ曲がり が特徴的である.そのほかの場合には他にもゆらぎの減衰機構があり,小スケー ル側でコールドダークマターのみの場合よりも遷移関数がさらに小さくなる.

物質成分がホットダークマターである場合には自由運動によるゆらぎの減衰が 強く効いて遷移関数は短波長側で大きく抑制される.この場合には 式(6.5.109)で与えられる波長以下のゆらぎは現在までに事実上消え去っ てしまう.あるいはダークマターのすべてがホットダークマターでなくとも, いくらかホットダークマター成分が混ざっている場合にはコールドダークマター のみの場合にくらべて短波長側でいくらかゆらぎが抑制される.ニュートリノ はホットダークマターとして働くので,その質量が十分重ければこうして遷移 関数に影響を及ぼす.どのくらいの影響があるかはニュートリノの質量によ る.

物質成分がバリオンのみである場合にもやはりゆらぎが小スケール側で大きく 抑制される.しかもその抑制のパターンはスケールごとに振動している.この 理由は次の通りである.まず,バリオンは宇宙の晴れ上がりの時点で光子との 結合が切れる.これは突然起きる現象ではなく徐々に進行する.光子の平均自 由行程が徐々に延びていくことで光子は拡散していくが,このときまだバリオ ンと衝突をするので,バリオンも光子によって引きずられ,一緒に拡散してし まう.このとき,拡散スケール以下におけるバリオンのゆらぎがならされてし まうのである.このゆらぎの減衰機構はシルク減衰と呼ばれている.さらにま た,宇宙の晴れ上がり以前のバリオンのジーンズ長はホライズン半径程度であ る.はじめにホライズンの外にあった波長が中に入ってくると,その波長のバ リオンゆらぎは,重力により成長しようとする力と圧力により成長を止めよう とする力によって振動する.早くホライズン内に入ってきたバリオンゆらぎほ ど何度も振動するので,その振動の位相はゆらぎの波長ごとに異なっている. 宇宙の晴れ上がりの時点でバリオンと光子の結合が切れると,この振動が止まっ てあとは単調にゆらぎが成長する.各スケールごとに宇宙の晴れ上がり時点で の振動の位相は異なるので,遷移関数に振動パターンが刻み込まれているので ある.このような振動はバリオンの音響振動と呼ばれている.

物質成分の主要な成分がコールドダークマターでわずかにバリオンが含まれて いるような現実的な場合は,コールドダークマターの遷移関数がバリオンの影 響で変形されたものになる.その変形は,バリオンのシルク減衰と音響振動に よるもので,遷移関数は小スケール側でわずかに振動しながら減衰する.

以上に見てきたように,遷移関数は宇宙の膨張がどうであったか,また特に宇 宙の成分が何であるかによって大きく異なってくる.このことは,現在の密度 ゆらぎの中に宇宙の歴史や成分についての多くの情報が織り込まれているとい うことを意味している.近年,宇宙の大規模構造や宇宙の背景放射の温度ゆら ぎなどから宇宙の成分などの宇宙論パラメータを極めて精密に見積もることが 可能な時代になっている.これを可能にした主要な原理として,ここで述べた 宇宙の密度ゆらぎの進化が用いられているのである.


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