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バリオン宇宙の困難とダークマターの必要性

ジーンズスケール

我々の宇宙にある物質で確実に存在すると考えられるのが,バリオンと輻射で ある.そこで,我々の宇宙がこの2つの成分からなるとしてみよう.この場合, $ \varrho \propto T^3$ , $ \varrho_{\rm r} \propto T^4$ , $ p_{\rm r} = c^2
\varrho_{\rm r}/3$ であることから輻射が脱結合する前には音速の変化が,

$\displaystyle {c_{\rm s}}^2 = \left.\frac{\partial p}{\partial \varrho}\right\v...
...rrho_{\rm b}} = \frac{c^2}{3}\left(1 + \frac34 \frac{a}{a_{\rm eq}}\right)^{-1}$ (F.4.90)

となる.したがって等密度時以前にはジーンズ長はホライズンスケールのオー ダーであり,その後等密度時をはさんでゆるやかにホライズンスケールよりも 小さくなってくる。輻射が脱結合した後は,バリオンを単原子理想気体で近似 すると

$\displaystyle {c_{\rm s}}^2 = \frac53 \frac{k_{\rm B} T}{m_{\rm H}}$ (F.4.91)

となる.バリオンはすでに非相対論的であり,この音速は光速に比べるとずっ と小さい。したがって,ジーンズ長もホライズンスケールよりもずっと小さく なる.こうしてジーンズ質量の変化は図6.1のようになり,脱結合の ときにジーンズスケールは急速に小さくなる.この図からわかるように,脱結 合の時期まではほとんどゆらぎが成長することができない.脱結合後になれば, 例えば $ 10^{11} M_\odot$ である銀河スケールの物体も重力収縮を始めること ができるようになる.
図 6.1: バリオン宇宙のジーンズ質量
\includegraphics[height=10pc]{figs/fig00.eps}

シルク減衰

光子の脱結合のとき,光子は一瞬でバリオンとの相互作用が切れてしまうわけ ではない.はじめは頻繁にバリオンと衝突していたものが,徐々に衝突の回数 が減っていき,最終的にはほとんど衝突しなくなるという連続的なものである. はじめ短い距離しかまっすぐ進めなかったものが,だんだん長い距離を進める ようになって光子は拡散していく.だが依然バリオンとまだ衝突するので,摩 擦が働き,バリオンを引きずってしまう.これによりバリオンの密度ゆらぎは あるスケールでならされることになる.このようなバリオンゆらぎの減衰を シルク減衰 (Silk damping)という.

シルク減衰のスケールのオーダーを見積もるために,光子の拡散距離を考える. 光子の衝突確率は $ n_{\rm e} c \sigma_{\rm T}$ であるから,一回の衝突する のに要する平均的な時間はこの逆数で与えられる.その間に進める距離 $ l_{\rm f}$ は平均自由行程と呼ばれ,

$\displaystyle l_{\rm f} = \frac{1}{\sigma_{\rm T} n_{\rm e}}$ (F.4.92)

おおざっぱには,光子がこの距離ごとに散乱されて,ランダムウォークによって 拡散していくと考えることができる.平均間隔$ d$ $ N$ 回のランダムウォーク をするときの拡散距離は$ N^{1/2}d$ である.いまの場合、時間$ t$ の間 の拡散を考えると, $ N=ct/l_{\rm f}$ , $ d=l_{\rm f}$ であるから,その拡散 距離は

$\displaystyle l_{\rm d} = \sqrt{\frac{ct}{\sigma_{\rm T} n_{\rm e}}}$ (F.4.93)

となる.平均自由行程以下のスケールのゆらぎはならされることはないので, シルク減衰によりならされるスケールは $ l_{\rm f} \lower.5ex\hbox{$\; \buildrel < \over \sim \;$}l \lower.5ex\hbox{$\; \buildrel < \over \sim \;$}l_{\rm
d}$ である.この減衰域を質量スケールにすると図6.1に示したよう な場所になる.

バリオン宇宙の困難

以上見てきたように,バリオンと輻射で成り立っているような宇宙では,光子 との相互作用によって脱結合の時期まで,銀河団よりも大きなスケールでもゆ らぎが成長することができない.これは銀河団よりも小さな宇宙の構造は脱結 合以後に成長し始めて現在の構造に至ったことを意味する.簡単なアインシュタイン・ ドジッター宇宙の場合,ゆらぎの線形成長 $ \delta
\propto a$ であるから,脱 結合時のゆらぎの大きさは現在のものに比べて

$\displaystyle \delta(t_{\rm dec}) \sim a(t_{\rm dec}) \delta(t_0) \sim 10^{-3} \delta(t_0)$ (F.4.94)

となる.現在の密度ゆらぎは銀河団スケールでもすでに $ \delta(t_0) >1$ となっ ているので,上式から $ \delta(t_{\rm dec}) > 10^{-3}$ でなければならない. ところが、宇宙背景放射の等方性から,脱結合時のゆらぎは極めて小さくおさ えられているのである.断熱ゆらぎの場合,バリオンあたりのエントロピーが 一定であることと $ s\propto T^3$ から

$\displaystyle 0 = \frac{\delta(n_{\rm b}/s)}{n_{\rm b}/s} = \frac{\delta n_{\rm b}}{n_{\rm b}} - \frac{\delta s}{s} = \delta - 3 \frac{\delta T}{T}$ (F.4.95)

となる.したがって,脱結合時の温度ゆらぎも少なくとも$ 10^{-4}$ 程度なけ ればならないのだが,背景放射の観測によれば, $ \delta T/T \sim 10^{-5}$ しかないのである.したがって,現在見えているような構造まで成長するため には時間が足りず,観測と矛盾することになる.

温度が密度と同じようにゆらいでいる断熱ゆらぎでなければ上の矛盾は回避で きる可能性は残されている.宇宙の初期ゆらぎができたときに物質成分と輻射 成分の和は空間的に一定のまま,成分のエネルギー密度の比だけがゆらいでい る場合が考えられる.これを等曲率ゆらぎ (isocurvature perturbation)という.この場合にはエントロピーがゆらぐので上の式 (6.4.95)は成り立たない.そのかわり, $ \delta\rho_{\rm r} +
\delta\rho_{\rm m} = 0$ となっていることと $ \rho_{\rm r} \propto T^4$ か ら

$\displaystyle \frac{\delta T}{T} = \frac14 \frac{\delta\rho_{\rm r}}{\rho_{\rm ...
...ac14 \frac{\rho_{\rm m}}{\rho_{\rm r}} \frac{\delta \rho_{\rm m}}{\rho_{\rm m}}$ (F.4.96)

となる.これは十分初期には $ \rho_{\rm m} \ll \rho_{\rm r}$ であるから, 実質的に等温ゆらぎであることがわかる.等曲率ゆらぎでは密度ゆらぎはエン トロピーゆらぎが転化して成長してくるため,この等温性が脱結合時まで保た れることが可能である.すると,脱結合時に温度ゆらぎが小さかったとしても 現在の構造をつくることができる可能性がまだあることになる.だが,このモ デルによる構造形成では大角度スケールの背景放射のゆらぎが観測値よりも大 きくなり過ぎて,やはり困難に遭遇する.さらに,バリオンと輻射によって等 曲率ゆらぎを作り出すメカニズムも不明である.

このように,重力不安定性によって構造形成が起こったならば,我々の宇宙の 主要構成物質がバリオンであるとすると観測との間に矛盾を生じる.これは, バリオンが脱結合時まで光子と相互作用していることにその第一の原因がある. ここで,バリオン以外の物質が宇宙の主要構成物質であるならば,脱結合時以 前からゆらぎが成長できているため,次節で見るように,バリオンがそのとき に十分ゆらいでいなくても観測と矛盾しないことになるのである.

驚くべきことに,実は宇宙にはバリオン以外の物質が重力的に支配的であると いう証拠は数多く存在する.銀河の回転曲線,銀河団の質量-光度比,銀河の 特異速度場の観測などにより,光ることのない物質,ダークマター (dark matter)の存在が示唆されている.その結果,宇宙の質量パラメータ $ {\mit\Omega}_0$ は0.1よりも大きいことが明らかになったが,これは元素合成の理 論から予言されるバリオンの量 $ {\mit\Omega}_{\rm b0} \sim 0.04$ を上回っている. すなわち,バリオン以外の物質が大量に存在することになる.ダークマターの 候補はいくつか考えられているが,本当はなにものであるのかはよくわかって いない.重力相互作用でしかその実体を捉えられていないという,ミステリア スな物質である.


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